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四面書架④ 自由の刑に処サルトル     大学編①

 最後は悲惨な終わり方をした高校生活であったが、それも含めて楽しかったと今では言うことができる。虚勢ではない。確かに彼からも学んだことはある。それらは、頭が良いことは大事だが決して幸福に対して必要十分条件ではないこと、世の中にはかかわってはいけない人間がいること、人に病むことはそれなりに迷惑をかけるということだ。特に偏差値重視の思想に侵された僕にとっては、これからの人生を生きる上で善い糧となったと心から強く思っている。

  雪国での長いような短いような学生生活はこうして一滴の水を残し、溶 けていった。

 伊丹空港から京都駅へ向かうバス。北海道をはなれ、新天地京都に踏み入れたことはうれしくて仕方がなかった。父が六浪を経て京大に入学したため、幼いころからふんだんに京都の魅力を身駆に叩き込まれていた。境界線のない多様性。画一的で人為的な境界線なんぞ、自然が優しく抱きしめて、淡い夕日とともに消えゆく。絶えずゆらゆらとした空気に包まれながら己の生を奮い立たせるかのようにあらゆる生命が一本の葦であることを自覚し、不透明な一日を悠々と溶かしている。それでいいのだ。すべて。

 落ちたことによるショックはすでになかったように思う。ただただ、今までの玉石混交の連綿とした日々にサヨナラを告げることができ、すっきりとしていた。雄鶏精神をも持っていた感じがする。4月の入学式ではじめてキリスト教文化に触れた。合唱団の讃美歌の美しさは今でも耳に残っている。
また学籍番号が一番であったことも嬉しかったし、入学式ガイダンスにて哲学者が目の前に存在していることも嬉しかった。色々な方々と交流したかったために、様々なサークルにも入ったしバイトもした。生きているって感じがしてとっても楽しかった。しかし、世の中はまだコロナで騒がれていた時期であった。サークルもほとんどがオンラインであるし、授業の大半もオンデマンド授業であった。どこか不完全燃焼の気持ちを抱いていた。そんな中、蛍を見たいという単純な理由で、インスタで人を募った。出会った方々はみんな心優しかった。鴨川で黄昏ながら各々人生観を語りある日々であった。

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