保江邦夫先生「神の物理学」で岡潔
随分と大きく出た保江先生が恩師の湯川秀樹先生の素領域理論に重要な指針を与えたのが岡潔博士だったと、はじめにで書かれている。岡潔研究者としての論も挟んでみようと思う。
さらには、名古屋で知り合った僧侶から教えられたことは、湯川秀樹先生が素領域という空間の微細構造に思い至るにあたって重要な指針を与えたのが、旧制第三高等学校時代に数学を教えた天才数学者・岡潔博士だったということ。その岡潔博士は世界に先駆けて「多変数複素関数論」を一人で築き上げた孤高の大数学者として知られるが、そこで展開された難解な定理の数々は博士が意識を失って「真理の世界」をさまようことで発見されたという。この驚くべき事実は博士の晩年の随想『春宵十話』(角川書店)や『日本のこころ』(日本図書センター)でも独白されている。
ここの意識を失ってというのは、小我を離れ、「情の世界、第二の心」で思索したということで、意識を失って倒れていたというのではありません。春宵十話には一種の放心状態と岡は書いているが。
そんな岡潔博士だからこそ、我々の存在を許す「空間」が無数の「愛」によってできているという事実を「真理の世界」において垣間見ていたに違いない。空間というものが「愛」の充満界であるからこそ、そこに生きる人間は「情緒」を最も大切にしなければならないという岡潔の考えに共鳴した湯川秀樹は、数学者ならばこそ許される岡潔の「愛」を理論物理学者の言葉である「素領域」に置き換え、「空間」が無数の「素領域」によって構成されているという「素領域理論」を提唱したという。
数学者ならばこそ許される岡潔の「愛」とあるが、数学者岡潔も決して許されてはいませんでした。数学は捨てて、日本民族を救いたいの一心で、「情」という言葉を岡は使いますが、「情」に満たされていると唱えていました。
岡潔博士が「空間」を「愛」の充満界として捉えるに至ったのは、むろん無意識下で「真理の世界」をさまよったときの発見ということもあっただろうが、生涯をとおして師事した浄土宗光明派の僧侶・山本空外和尚の教えの根底にあった思想によるものとも考えられる。
岡潔は、光明主義の山崎山崎 弁栄氏に師事し『無辺光』にて四智を検証したが、山本空外和尚を師事していたとは、我々岡潔研究会には、伝わってはおりません。最終的にはその光明主義も捨てて、15識の高みに進んでゆくのだが。
岡潔は湯川秀樹に空外和尚を紹介し、自身多大な感銘を受けた湯川秀樹もまた空外和尚に師事することとなったのだが、晩年に提唱した「素領域理論」は岡潔よりもむしろ空外和尚から直接影響を受けたものだったのかもしれない。湯川秀樹博士は、自らの墓を京都東山の浄土宗総本山「知恩院」に眠る空外和尚の墓の隣に設けたほどに、空外和尚に傾倒していたのだから。
オッペンハイマーも弟子になりたいと申し出たという、空外和尚ですから、このようなことはあったのかもしれません。
「神の物理学」の「完全調和」の世界はは岡清の「情」の世界そのもの。
松井守男画伯の絵もカラーで沢山紹介されており、保江先生の「愛」があふれる本となっています。
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