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もっと早く知りたかったから、伝える人になりたい。
「人生変えるかも」。そんな言葉が虚しく聞こえる日々が淡々と進んでいく。
私がそわそわと期待することは、いざ近づいてみるといつだって空っぽだ。最後まで頑張り切れないへなへなな人間なのかもしれない、私が。あとひと踏ん張りなのだろうか。もう私は踏ん張るどころか立ててすらいないけれど。こんなままじゃ、という焦りが空っぽな私にほんの少しだけ響く。
この一カ月ダラダラと携帯を見てばかりで、少し目が悪くなった気がする。
なにも大したことのない人生を送ってきたつもりだ。他の人の話を聞いていると「あぁ、この人もちゃんと人生を歩んでいるんだなぁ」と思う。私より、多分よっぽど「人生」を生きている。なんだかなぁ、と毎回思う。皆偉い。本当に皆偉い。
生きている人を見ると偉いなぁと思う。別に私だけが思っていることだろうなんて思い上がる気もないけれど。生きることを選ばない人も多分結構偉い。なんだろう。取り敢えず皆偉いのだ。
どんな人間になりたいのか、聞かれる機会がもう少しで訪れるかもしれなくて今noteを開いている。ここに淡々と書き記したことが私の人生の下書きになることを願って。
誰かに手を差し伸べられる人になりたいと思っている。私は本当に大したこともない人生を鬱々と消費しているけれど、他の人にはあんまりこういう人生を歩んでほしくない。私が「もっと」と欲してしまうことが沢山あって、一つでも誰かのために使えたらいいのになと思う。
生きていくことはしんどかったりだるかったりそんなことばかりで毎回少し疲れてしまうけれど、例えば正確な知識があれば少しでも生きやすくなれるかもしれない。私はあんまり上手く人生を謳歌出来ているタイプではないけれど、これから出逢う誰かにはもう少し上手く生きてほしい。
無茶苦茶具体的な話をしてみるならば、異性に触られたことに悩んでいるなら匿名にでもしっかり大人に相談したほうがいい。一方的にでも言い逃げでもいいからしっかり問題にしたほうがいい。私にはできなかったけれど。多分したほうがいい。いや、私にはまだあの時のことを消化できていない。一番仲が良かった人達に笑いながらネタにしたことがあるけれど、それだけだ。その時すらあと30秒長くその話をしていたら多分泣いていた。そのぐらい悔しくて、意味が分からなくて、その友達が嫌悪感を示してくれてやっと自分の感覚が正しかったことに安心したぐらいだ。
だって、誰も教えてくれなかった。私だけが嫌悪感で吐きそうになるのか、共通の価値観なのか。
誰も教えてくれないなんて、正しいことではないと思う。正義感だけで非現実なことを言っているかもしれないけれど。もっと早く教えてほしかったことが沢山ある。私みたいに息のしにくさをどうにかしたい人だけがひたすらにネットサーフィンをして知識にありつけるなんて正しくない。
生理痛が毎月痛い人は産婦人科で正しい処置が受けれるかもしれない。バス停で30センチしか離れずにしつこく話しかけてくる男性は変な人。DVされたら写真は撮っておいたほうがいい。BMI15以下は本当に危険。幼児でも異性という価値観がある子供は十分いる。死にそうにならなくても病院に行っていい。福祉施設を正しく使えば親は子供を預けて一人でゆっくり買い物したりできる。ニキビは皮膚科の2000円もしないぐらいの簡易的な診察と薬でもだいぶ治る。避妊はしないと本当に妊娠する。妊娠したかもしれないときは産婦人科にいけばアフターピルで妊娠を防ぐことができる。男の人は妊娠が発覚したら逃げる可能性があるのに女の人は必ず背負わなくてはいけない。食生活が乱れている人も野菜ジュースだけなら飲めるかもしれない。親も子供と同じように人間であり、間違えることも、間違えを認めないことも、嘘をつくことも、言い訳をすることもある。
なんかもっともっと沢山あった気がする。自分だけなのかもしれない、と思いつつも相談できないことというのは本当にたくさんある。こんなことを書いている私すら自分だけなのかよく分からなくて病院に行くかためらっていることがある。多分そうなのだ。誰しも自分だけなのかもしれないと悩んで、上手くいかない人生を生きている。
でも、こういうのは悩めば悩むほどいいとかそういうものでは断じてないのだ。知らない人は損をすればいいとかそういう話ではない。
将来出逢う誰かのために、私が知識を身に付けていたい。
自分がしてほしかったことを少しでも誰かのためにできる大人になりたいと思う。
誰にだって泣きたい夜はある。
私はそんなことをもっと早く知りたかった。
誰かの「特別」になりたくて、誰かに心配してほしくて、強く抱きしめてもらわないと上手に泣けなくて、惨めだと思われるのが怖くて。そうやって私はそれなりに生きている。
大丈夫。私の生き方にはきっとこれ以上なんてなかった。もっと早く知りたかったことは山のようにあるけれど、私は一方通行で着実に生きている。どうしようもなく地に足付けて生きている。
でも、
だからこそ、
いつか出逢う君にはきっと、私が見てきたよりもっと、
素敵な世界を見せてあげることができるはずなんだ。
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この春、私は国立大学で養護教諭への道を歩み始めました。
この文章は今から3ヶ月前、共通テストが終わってから国立大学の二次試験の面接対策として改めて志望動機などを整理するために書いたものです。
今はまだここに書いた全てが夢物語に過ぎないとしても、いつかこの文章を土台にして未来を歩んでいければ。
私の人生の下書きとして、私にとっての備忘録として、この文章をnoteに残しておきたいと思います。
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