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【歌詞】『さくら貝の歌』/あいまいな言葉

 『さくら貝の歌』の調べは、優しきに好みの曲なり。
 されど、男の恋心、女の恋心につき語り合ひしとき思ひたるは、末(すゑ)の行に「果てぬ」とあるは腑に落ちぬものなりと。
 死して後も慕はるるは嬉しきことなれど、「果つ」に完了の助動詞「ぬ」が付きて、現世に儚く「消え去ってしまった、終ってしまった」と歌はるるは、長く慕はれまほしく思ふ女心に反し悲しきことなるとなりぬ。
 
 平生、有名なる歌ひ手の歌ふ歌詞は次のやうに表記さる。
 されど、原詩(原文)を探したるも見つけられず、下記の詩の漢字、平仮名の表記が原作者によるものや不明なり。
 
 『さくら貝の歌
1949年発表 (1943年完成)
作詞:土屋花情
作曲:八洲秀章
歌:小川静江
 
美(うるわ)しき 桜貝一つ
去り行(ゆ)ける 君にささげん
この貝は 去年(こぞ)の浜辺に
われ一人 ひろいし貝よ
 
ほのぼのと うす紅染むるは
わが燃ゆる さみし血潮よ
はろばろと かよう香りは
君恋うる 胸のさざなみ
 
あゝなれど 我が想いははかなく
うつし世の なぎさに果てぬ

 
 文意は次のやうになるなり。
 昨年に浜辺で片側だけ拾った美しいさくら貝を死んでしまった恋人に捧げたい
 さくら貝の仄かな薄紅色は、心の中で燃える寂しい血潮、
 遠くから漂いてくる匂いは、今も恋人を慕う胸の漣(さざなみ)
 そうとはいえ、その思ひは儚くて、この世の渚に消え去ってしまった
 
 末の行にて、恋は終はりぬるぞ言ふ。己の思ひを捧げたくとも、すでに消ゆると言ふ。(これにて良しや、作者の心持ち不明)
 
 この歌の作られし背景を辿る。
まづ、作曲者の八洲秀章は、大正三年北海道の開拓農家の次男として生まれけり。農作業で事故に遭ひしとき、そのつまなるに音楽家にならむと決意す。一人の女(をんな)に懸想(けさう)ぶれども上京。
 ある夜、作曲で頭悩ましゐる八洲秀章の枕元に故郷に居るはずなる思ひ人が立てり。一通の文も遣らず、恋心とて表すこともせざりたり。かの女の慕ふ心あればこそここに現れたれ。さやうに思ふとき、八洲秀章はかの女の亡き人になりぬと悟りけり。
 逗子海岸にて桜貝の一片を見つけたるとき次の歌を詠む。
 「わが恋の 如くかなしや さくら貝 かたひらのみの 寂しくありて
 さくら貝の片側のみあるは寂しく見えて、我が恋のやうにかなしきものなりと読みうる。今なほ恋すればこその心情ならめ。

 昭和14年、八洲秀章はかの女を偲びて歌を作らむと思ひ立ちて、湘南にて公務員として勤めつつ作詩活動したる土屋花情を訪れ、短歌を示して作詞を依頼。
 土屋花情は逗子海岸を散策し想を練りて、死別したる人への思ひ踏みて自身の失恋の思ひを強く反映したる詩作りけり。
 
 されど、あへて不満申せば、前述歌詞には古文と現代仮名遣いとが混じりをるゆゑに、仮名遣ひはかくあるべからずや。
 
 <さくら貝の歌>
※古文なれば、かやうにするが自然なるやと思ひて筆者改ざんせしものなる
 
うるはしき(美しき、愛しき) さくら貝ひとつ
去り逝(ゆ)ける 君に捧げん(む)
この貝は 去年(こぞ)の濱辺に
われひとり 拾ひし貝よ
 
ほのぼのと うす紅染むるは
わが燃ゆる さびしき血潮よ
はろばろと かよふ香(かを)りは
戀(こ)ふる 胸のさざなみ
 
あゝなれど わがおもひ(、思ひ、想ひ)ははかなく
うつし世の 渚にはてぬ

※ここに、「戀」といふ字にて「こひ」と「おもひ」とに使ひ別けたる詩を網絡(ウェブ)にて見つけたり。誰がかやうに書きたるや明らかならず。
※さくら貝の画像は、網絡(ウェブ)にて拾ひしものなり


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