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【随想】直訳を活かすが基本!/「直」は「まっすぐ見つめる」の意

 外国語であれ古語であれ、言葉を意訳するほうが理解しやすいことから良しとされてございます。直訳すると、不自然な日本語になり意味が不明となることも多くあり好ましくないと言われて、学校教育においても、直訳すればこうであるけれども、これは日本語としてこう訳すのが自然であると意訳を勧められます。これが、大きく誤っているとは思いませんけれども、長年外国人と一緒に仕事をしてきた経験から、必ずしも、意訳を良しとする傾向には納得いかないところがございます。

 言葉はその地域の文化でございます。
 言葉は、習慣、文化を背景に持ち、その意味するところが決まっております。せっかく相手を理解しようとして言葉を介して意思疎通を図ろうとしているのに、分かりやすくしようと相手の言葉を自分の所属する地域の文化に置き換えてしまったら、その本来の言葉そのものの意味が薄れてしまうのでございますよ。かえって、相手を(相手の文化を)理解することを妨げることになってしまっていることもあるのでございます。相手を理解しているつもりでも、実は、自分に都合の良い理解であって、微妙にずれていることがあるものなのでございます。

 簡単な例を挙げれば、英国の言葉として "Good morning"を「おはようございます」、"Good afternoon"を「こんにちは」、 "Good night"を「おやすみなさい」と教えられますけれども、これは、もう、ほとんど誤りに近いというもので、その日本語しか頭に浮かばないとすれば、不十分極まりなく、想像力を欠いたこの単語の変換(意訳)では、英語を勉強する弊害にすらなっているのではないかと存じます。

 この倭(やまと)の国では、勤勉であること、礼儀正しいことを美徳とする文化が長く続いてまいりました。
 朝「おはようございます」と挨拶するのは、朝既に働いているひとを見て「朝早くから働くのは大変ですね(あなたはご立派ですね)」という意味合いで使われている訳でございます。
 昼「こんにちは」と挨拶するのは、「今日(きょう)は良い天気に恵まれ、お互い精が出ますね」という意味合いでございましょう。
 夜「おやすみなさい」と挨拶するのは、一所懸命に働いて一日を終えるにあたって、「ゆっくり休んで疲れを取ってください」という意味合いでございましょう。

 英国の習慣を鑑(かんが)みれば、一日を過ごすにあたって、神の加護を得て無事に過ごすことはとても大切なことでございます。神の加護を祈る文化と言い得るものなのかもしれません。
 "Good morning" を午前の挨拶「(あなたに)よき朝を過ごせるように(祈ります)」、"Good afternoon" を午後の挨拶「(あなたに)よき午後を過ごせるように(祈ります)」、"Good night" を夜の挨拶「(あなたに)よき夜を過ごせるように(祈ります)」として交わすことでお互いの無事(幸せ)を祈っている訳でございます。

 直訳を避け、あまりに意訳にこだわってしまうと、その地域の文化を見失ってしまうのでございます。
 事実、夕暮れに別れるとき(寝る前ではありませんよ)、 "Good night"「(これから)よき夜の時間を(過ごせるように)」と挨拶を交わすのでございますよ。「おやすみなさい」としか頭に浮かばなければ、かなりずれた反応しかできないのではございませんでしょうかね。 

 ついでに申し上げれば、"Goodbye" とは、長きにわたって別れるときの挨拶でございます。
 もともと"God be with you"「(あなたに)神のご加護を(祈ります)」の意味で、これが短く"godbwye" から "goodbye" になったものでございます。ですから、通常は、”See you later(また後で(会いましょう)” とか ””See you tomorrow(またあした)”” とか挨拶をいたします。

 翻訳(意訳)されたものは理解しやすく意図されているものであって、都合の良いことが多くありますけれども、訳した人の世界観(解釈)に基づいており、必ずしも原語、原文の意味を伝えているものではないことを十分心に留めておくことが重要でございます。
 直訳は、多少不自然な日本語にしか置き換えられなくても(文化の違いがあるので当然のこと)、もう少し重要視されて良いのではないかと思う次第でございます。

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