藩屏の復興は必要か

                        令和4年10月14日

「正論」11月号の松浦光修皇学館大学教授の論文を読んでいると、同氏は皇室には藩屏が必要であり、その復興は政治家の責任であると主張されているようである。

旧統一教会問題で一部の政治家が犯罪者のように扱われている現象を江戸時代の「宗門改」の如くであるという批難には全く同意するものであり、古事記や日本書紀にある神代の物語のなかの「マツリ」とは「祖霊」と「食物霊」に感謝の祈りを捧げることであって、その源流は縄文時代にまで遡るという御指摘にも「異議ナシ」という感じである。

しかし論文の後半の「藩屏の復興」には賛成することが出来ない。

「祖霊」と「食物霊」に感謝の祈りを捧げることは縄文時代から日本国内の民の多くがそれぞれ独自に実行して来たことであり、皇室が無くなっても廃るとは思われない。「祖霊」と「食物霊」に対する感謝の祈りが我が口の文明、文化の「核」であるとしても、又、皇室がその文明、文化の「核」を堅持して下さっていることが明らかであるとしても、法的、人的な「藩屏」の「復興」がなければその「核」が破壊されてゆくということにはならないのではないか。

朝日新聞等の「唯物真理教」の人々が情報工作を進めているにしても、皇室の藩屏を復興しなければ「日本民族の六千年の祈りの伝統が破壊されるようなこと」が生じる、とは小生にはとても思えないのである。

むしろ、戦前の「皇室真理教」の人々が無謀な侵略戦争の推進に加担したとい歴史的事実経過こそ、厳密な科学的検証を必要としているのではあるまいか。戦術、戦略に疎い宮様が軍の上層部に席を与えられ、判断を誤り、多くの日本国民を犬死させた経過はきちんと科学的に検証しておくべきである。GHQが華族制度を廃止し、11宮家を臣籍降下させて「皇室をお守りする法的な、あるいは人的な藩屏はほぼ壊滅状態におちいってしまった」ことは事実であるが、戦後の日本国民の多くがそれを歓迎し、受け入れたという事実が存在しないであろうか。今の憲法が「GHQ製の憲法」であることはそのとおりであるが、しかしそれも戦後の国民の多くが受け入れたからこそ、今日まで大した暴動も発生せず、憲法改正に関する国民的運動が今も中々進んで行かないのではあるまいか。

宮内庁は内閣府の一部局であり、内閣府本府、公正取引委員会、国家公安委員会、金融庁とほぼ同格の組織である。ところが宮内庁の役職員は一般国民に対し、どれ程威張っていて、どれ程居丈高に物を言い、公僕らしいところが全く見られない「嫌な奴」が多いことを松浦光修教授は知らないと見える。

皇室がGHQによって法的、人的な藩屏を破壊された今でも、神々に国民の平和と幸福を祈り続けて下さっていることは事実である。しかし藩屏が無くてもそれが現に出来ているのであるから、それでいいではないか。そうした国家機関の1つに作り変えた現憲法のその核心部分を再び大きく変更すると言うのであれば、改めて国民的な大議論を巻き起こす必要があろう。

国と国民の為に祈る国家機関が現代においても我国に存在することはとてもいいことである。昭和天皇はそれをずっと実践されて来られたし、上皇も現天皇もそうしていらっしゃる。それでいいではないか。何故、戦前の華族制度の復興が必要なのであろうか。天は人の上に人を作らず、である。藩屏の復興など全く不必要であると小生は考える。

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