私の注意力は三万です
笑いを大きくするには、タイミングが重要である。
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私は「注意力が散漫」という言葉が好きだ。小さな頃から親にそう言われて、「“三万”って多いな?」とこっそり思っていた。「注意力が三万」と捉えれば、さながら「注意力」というパラメータが存在するかのような言い回しになり、なおかつその「注意力」が(「三万」という絶対的な数として)逆説的に高くなる様に言葉遊びの真骨頂を感じる。
中学生の頃、仲の良い友達にこの考えを話してみた。当然だが、その友達は「?」を顔に浮かべていた。自分の中でここまで整理できていなかったこともあるが、「注意力が散漫って面白い表現じゃない?」と突然言われたらそりゃそうなる。当時はそんなことも分からず、私は「これは通じないんだ」と独り落胆し、「注意力が散漫/三万」に感じた面白さを心の奥深くにしまいこんでしまった。
その数年後、体育館でバスケをしている時に鍵を失くしてしまった。自分は失くし物/忘れ物が本当に多い。一緒にいた友達は、私のことをたしなめた。
お前はいつも注意力が散漫だなぁ
その刹那、私は心の奥底で埃を被っていた「注意力が散漫/三万」の面白さを思い出した。そして、まるで普段から思っていることを口にしたかのように、返答した。
三万って結構あるじゃん
シンプルにめちゃくちゃウケた。レスポンスが速かったこともあるが、ここまで返答一つでウケるのかと自分でも驚いた。そして、点と点がつながったかのような感覚に感動した。
そこから私は、考えたことをすぐに言うのではなく、しかるべきタイミングで待ち構えて発言することを覚えた。これをすると、タイミングを逃してしまうこともある。だが成功すれば、笑いの量は飛躍的に大きくなる。言わば「笑いの種の投機を窺っている」のである。しかもこれは、どうやら記憶力が相対的に優れているらしい自分に合った芸当だった。他の人が埃を被せたままのことでも、自分は関連したことを行えばパッと思い出すことが出来る。(何を考えていたか忘れてしまった時、過去の行動を振り返ると大抵思い出すことが出来る)
一度書いたことは忘れない。だからこのnoteは、自分の思ったことを吐き出す場所、自分の考えを新しく保つ場所であり、そして自分の種を保管しておく場所でもある。私のnoteは色々な使い方が出来る故に、noteで文章を書くことが面白いのかもしれない。
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