見出し画像

最後の切り札“福ちゃん”

父の長きに渡る闘病生活を語る上で欠かせない存在の医師が虎の門病院にいます。間脳下垂体外科にいらっしゃる福原医師です。
父は頭の手術だけでも4回しましたが、医師は違えどその全てを虎の門病院で執刀していただきました。振り返ると福原医師がご専門にされている脳下垂体腫瘍をとる手術は4回の内で1番重症度は低くあまり心配せず手術室へ送り出しました。他の3件はいずれも突発的でリスクも高く、生死が危ぶまれるものでした。福原医師にご担当いただいた手術は父の闘病の中で最も軽かったため、12年に及ぶ虎の門病院とのお付き合いの中ではさほど印象には残らないはずでしたが、実は我が家が1番頼っていたのが福原医師でした。

初めの出会いは、福原医師がまだ助手をされている頃でした。脳下垂体は脳幹部分にあるため、いわば脳の1番中心であり1番奥に位置するため、開頭手術となると患者はもちろん執刀する医師の負担も相当なのだそうです。
ところが福原医師のご師匠である山田医師は、副鼻腔から内視鏡を使って下垂体の手術をするという画期的な方法を編み出した第一人者であり、全国から山田医師を頼ってくる患者さんがたくさん居ました。
父は術後、たびたび後遺症となるてんかん発作に苦しみましたが、抗てんかん薬が体質にあわず、そこでも苦労しました。その度に福原医師と相談し、対策や方向性について話し合いました。
当初、私たちは「お医者さんなんだから病気の患者を治してくれるはず」と思っていました。抗てんかん薬があわないのならあうものを見つけてくれるとも思っていました。薬があわず、苦しむ父とそれを成す術なく見守る母。なぜ治せないのだろう、と時にイラつきながら付き添う私。そんな無知な患者とその家族にいつも同じトーンで同じ姿勢で接してくれた福原医師に、我が家はいつの間にか深い信頼を寄せていました。
下垂体腫瘍の治療はとうの昔に終わっていましたが、緊急時には福原先生しかいない!とSOSの電話をかけたのは一度や二度ではありません。
そんな時も慌てずいつものトーンで「こちらで診ますのですぐいらしてください」と言ってくださいました。

母と私はそんな福原医師を親しみを込めて“福ちゃん”と影でこっそり呼んでいました😅
まさに我が家にとって福ちゃんは救世主で最後の切り札だったのです。
3度目の脳梗塞が疑われた時も、本当は福ちゃんに頼りたかったのですが、何故か遠慮してしまい、タイミングを逸してしまいました。あの時福ちゃんに電話をしていればもう少し生きられたのでは、、、という後悔もありますがそれも後の祭り。魔法のランプも使える回数が限られていますものね。

最後の入院となった昨年の今頃も病棟のコンビニでばったりお会いすると、変わらぬトーンで「大変ですね」など短い会話を交わしました。父が長くないことはプロですのでよくわかっていらしたと思います。それでも変わらぬいつものトーンをありがたく感じました。

福原医師には長きにわたり本当にお世話になりました。
深い感謝を申し上げるとともに益々のご活躍を祈念しております✨✨✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?