父の意思

虎の門病院への転院が済み一先ずホッとしましたが、それでも先は見えず絶えず不安でした。
目指すところは看取りのための帰宅なので、まずは父の全身状態の立て直しからでした。しつこいですが、直前までいた救急病院では栄養を一切入れていなかったため圧倒的な栄養不足に陥っていて、輸血も含め栄養を徹底的に管理してもらい、回復を待ちました。ただ、すでにどん底まで落ちている体力や栄養がV字回復することは年齢的にも難しく、医師も方針を決めかねているようでした。
家に帰すことを目標にした場合、やはり自宅での栄養摂取や投薬を助けるアイテムとして、CVポートという点滴の入口を鎖骨の下辺りに造設するのがベストということになりました。(※後に、発熱が治らずポート造設は断念)
ポート造設はごく簡単に行えるとはいえ一応処置を伴うため、まずこれらの流れを父本人に伝えることが肝心でした。面会の許可を病棟を取り仕切る看護師長に掛け合うのですが、やはりコロナでピリついている中、なかなか大変でした。
ようやく面会許可がおりても、病室に入れるのは1人づつで5分だけという厳しい条件の下、衰弱している父と意思疎通をはかるのは困難を極めました。
父の体調も話しの理解度に大きく関わってくるため、面会は偵察の意味も込めていつも私が先に入室しました。再会の喜び担当は次に面会する母に一任し、私はとにかく今後の方針を話して父本人の了解を取りたい一心です。
病室へ入るなり「時間がないから手短に話すね。今後、ポートっていう点滴の入り口を作りたいんだけど、パパがこれ以上の治療はしんどいと思うならはっきりヤダって言っていいんだからね。でも、ポートを作ればお家に帰った時に管理が楽なんだって。それと、パパが死んだらママ1人残されちゃうから、残される立場から言うと最善の治療を選択した!っていう達成感も必要だったりするの。もう少し頑張れそう??」
少し考えて父は、一言「あー、そうだなぁ」と返事をしました。私は、心の中で「よし!本人の許可取ったぞ!」とホッとしているのですが、今振り返るとどう考えても本人の了承とは程遠いですね。。。(苦笑)
当時は、鉄壁の看護師長から面会許可をもらって、瀕死の父の説得もするという重大ミッションに神経がすり減っていたとは言え、これはさすがに酷い交渉です!!
オヤジ殿、ムスメも余裕がなかったということで許してくれ。。。😏

虎の門病院の看護師さんが看護記録をまとめてくださいました。そこには入院中の知られざる父の姿と父の気持ちが短い会話で記されていました。特に印象深かったのは、8/7と13の記録です。

8/7  体温37℃台
ご自身でモニターのコードを外してしまうため、手袋を装着させて欲しいとお伝えするが外して欲しいという訴えが強い。
「フリーがいいんです。家族が居ないなら私も帰ります。帰らせて下さい。」「ここは俺がいるところではない。この病院はダメだ。帰る!」とやや興奮気味だった。30分ほどお話しを聞いた。家族を呼んで欲しいと訴えるが、説明すると納得されたのか落ち着かれる。

8/13  体温39℃台
今日は少しお元気そう。いくつか質問してみた。
・療養先は自宅と病院、どちらが希望ですか?
「家族が…自分のことを…どこまで考えているかだねぇ。」
・やりたいこと、何か希望はありますか?
「会いたい人がいるからねぇ、あちこちに。」

父の帰宅への想いと、自分が帰宅した際に家族に強いる負担を不安視していることが読み取れ、切なくなりました。
紆余曲折がありながらも、最終的には家族全員が同じ想いで在宅医療を選択し体験したということは、今後の人生においても宝物になったと思います。

終わりよければ全て良し!

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