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わたしはあなたにふさわしい

前回


 私たちのあいだでは月に1度、1輪だけお花を買うという決まりがある。ただし赤や黄色ではいけない。手に入れるのは、必ず抜けるような白い花だ。以前に任ぜられていた仕事の関係でこのような色合いの花には馴染みがあり、退職した後でも傍にないと落ち着かないのだと彼はいう。

 種類はたいていユリだけれど、たまに菊やカーネーションであるときもある。いずれにせよ白い花であるに違いなく、花は一輪挿しに活けられて、ダイニングテーブルの上に飾られることになる。
 今月――12月は私がお花を買ってくることになっていた。もともと一日にカウンセリングの予定があったので、ついでにと頼まれたのだ。そうして1輪の白バラを手にして家に帰ってくると、彼が庭にしゃがみこんでいるのが視界に飛び込んできた。

 私は忍び足でリビングの窓まで歩み寄り、音を立てないようにゆっくりとガラス戸を開く。そうして背後から覗き込む。すると彼が庭バサミ(たしか家を出る時に夾竹桃の剪定をすると言っていた)を放り出して、手のひらに何かを乗せているのが視界に入る。
 
何だろう、と私はじっと目をこらす。まだ名前のない、新しい星を探し出そうとするみたいに。そしてまもなく、彼の手にしているのが鳥だと私は理解した。

 雀、でいいのだろうか。それくらいに小さな鳥だった。色合いもよく似ている。そしてそれは公園や駅前などに置いてある娯楽用の機械ではなく、正真正銘本物の動物だった。傷ついた胸からは機械油ではなく、きちんと鮮血が流れている。きっと動物園の収容から逃れて、ずっと空の下で生きてきたのだろう。そして、その生はいま終わりを迎えつつあった。
 血塗れの小鳥は、彼の手中でかすかに身じろきをする。けれどものたうち回ろうとする動作は極端に脱力していて、目的をはたすことはない。弱っているのは目にも明らかだ。また動きのとろくささ反し、ときおり強く体が跳ねることもある。けれどもそれは意志の力と表現するよりかは、何かの刺激に対する反射というような印象を与えた。

 そんな手のひらの生き物を眼差す人工エメラルドの瞳は、限度を超えた杯みたいに潤んでいた。やがて表面張力が限界に達し眼尻から冷却水が零れ、鉛筆の先でさっと描いたように涙が一筋、彼の頬につうと伝う。それは傍から見ていると、本当に気の毒になってくる面差しだった。
 でも、安易に声をかけるのは憚られた。泣いている横顔が何だか不安になるほどに端整なのもある。けれども1番の理由は、彼が自分の役目を果たしているのを知っていたからだ。

 電子と同じように、死んだ生物の魂にも正と負がある。定説によればどうやらこの2種類の魂の釣り合いが、自然界に大きな影響を与えているとのことだった。すなわちどちらかが多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけない。お互いが同数の分量で安定した中で、初めて世界は安寧が享受出来るらしい。

 そして魂における正負の割合を調整するために製造されたバイオノイドが、彼ことRND-C01なのだった。人類史で行われてきた多くの事柄と同様に、人間の目や計算速度では困難な死後の魂の捕捉や処理を機械に任せようというのだ。実際、彼はその期待に応えてきた。
 ――君が考えているよりもずっと、はるかに簡単な仕事だよ。むかし私が彼の任務内容について大変そうだと感想を述べると、元RND-C01はこのように答えたのを覚えている。
 次世代機の導入によって退職が決まって以来、彼からはこの調整機能は失われている。しかし生き物の死を悼むという能力だけは残っていた。

 あ、戻ったんだ? 水切りした花を一輪挿しに活けていると、彼はおもむろにこちらを振り向く。どうやら終わったらしい。まだ動かなくなった鳥を持ったままだけれど。

「保健所に連絡した方がいい?」私は訊ねる。
「いい。敷地の名義は僕だから、このまま埋めてしまっても大丈夫」
「……お花をあげようか?」
 そうしよう――少し間を置いてから、そう彼は答えた。
「せっかく活けてもらったところで悪いけど、この子だけの花があった方がきっといい」

 私たちは庭から日陰になった、しかし寒すぎない適当な場所を探してシャベルで掘り起こす。出来上がった穴の中に鳥を横たわらせて、その上に土をかけていく。なるべく音を立てないようにゆっくりと、丁寧に。そうしてすっかり死体を埋めてしまうと、ちょっとした山になったところに白バラを供える。

 しばらくのあいだ私たちはその場に屈み込み、完成した埋葬地をじっと眺めていた。重なり合って濃くなった植え込みや、私と彼の影の下で、ミルク色をした八重咲きの花びらがまぶしく浮かび上がっている。微かな光線でも弾く色調は小さく、ほのかな痛みを伴う鮮烈さを持っていて、まるで両目を針で突いてくるみたい思えた。

「君は死んだあとの生き物の声って聞いたことがあるかい?」

 ある瞬間、唐突に隣の彼がそう訊ねてきた。私はない、と答える。すると、自分もだと相手は返す。ついで彼は続けて言い足した。

「結局、こういうことをしても自分のためにしかならないんだ。本人が喜んでいるかどうかもわからないし、正負の転換には関係ないからね」
「そうかな? 善い、というか少なくとも悪いことじゃあないと思うけどな。だってたとえ死体でも自分を丁寧に扱ってくれる人か、くれない人かで、どっちがありがたいかと訊けば、だいたいの人は圧倒的に前者の方を選ぶと思うよ。まあ、あくまで私の基準でしかないけれど」

 そんなことを言いながら、彼が欲しいのはこういう言葉ではないんだろうと思う。彼が求めているのは陶器を金継ぎするみたいに、自分自身の足りないと感じる部分に、まるごとぴったりとはまるような物事だ。そしていま私の口にしていることが、相手の要求に沿っていないのは肌で理解していた。
 とはいえ私が一体何をしたら、彼に満足してもらえるのかはまったくわからないし、またそれがわかったとしても私がそれを実行可能か否かは別の問題だった。

「僕を製造するにあたって、設計者は誰かや何かの死を悲しむ――あるいは、そのようにふるまえる機能をつけた。それが彼らの信仰心や、道徳にかなっているのは知っている。でもこのことを僕にはうまく呑み込めないし、折り合いがつかないんだ」
「なるほどな」

 でも、君は花があった方がいいってきちんと知ってるじゃないか。そう私は思う。けれども直截には口にしなかった。こちらの考えをそのまま浴びせると、彼を傷つけるような気がしたからだ。何かを言わなければ据わりが悪い。

「でも死体をそのままにしておく人よりも、お墓を作る人の方が私は好きだ」

 私の言葉に彼はそう、とだけ短く返してくる。以降、彼は口を開かない。ただ冷たい風が頬を撫で、ふとバラの匂いが鼻先漂い、さらさらと葉が揺らぐ音だけがあたりに響く。そんな冬の庭で私たちは長いあいだ、並んで一緒にいた。

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