たましい、あるいはひとつぶんのベッド 3-9

※タイトルは哉村哉子さんによる


 ベッドに腰かけて、主の祈りを唱えながら手を組んで俯いている恵一の姿がミチルの印象に残っている。眠りにつく前に主へ祈りをささげるのが彼の習慣だったので、毎夜目にしていたからかもしれない。
 その姿をミチルが最初に見たのは、交際を始める以前になる。当時ミチルが暮らしていたアパートの近くにプロテスタント系の教会があり、何となく立ち寄ったときに彼と初めて出会った。
 六年前の四旬節のころ――三月の終わりのことだった。天気予報では桜の開花が間近だと言われていた時分で、その日は花曇りと呼ばれる空模様だったのを覚えている。教会の開けっ放しになった出入り口をくぐり、建物の中に入ると、ミチルは十字架がかけられた祭壇の前で跪いている男――恵一を見つけた。
 教会の内には入り口から祭壇まで一筋に伸びた通路を挟み、左右に幾つかの長椅子が設置されていて、恵一はその間で跪いていた。入ってきたミチルは勿論出入り口側にいるので、彼は必然的に彼女へ背を向けている格好になる。だから相手がどんな表情をしているのか、ミチルにはわからなかった。
 けれども、白いシャツとブラウンのズボンという、シンプルな出で立ちのせいだったからかもしれない。俯き加減でも糸で引っ張られたように背筋が伸びていて、どこか清潔で堂々とした印象がした。主の御前で包み隠すようなところは何もないというような、あるいは自分は今この場所に居ても許されているのだとでもいうような、そんな公然とした空気を纏っていた。
 ――天にまします我らが父よ。願わくは御名を崇めさせたまえ。御国を来たらせたまえ。……我らに罪を侵す者を我らが許す如く、我らの罪をも許したまえ。我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ……――このように唱えている文言と祈っている姿勢の組み合わせが自然で違和感がないので、動作自体がだいぶ長いあいだ、身体に染みついているのが窺い知れた。実際この習慣は彼が亡くなる前日まで続いた。

                *

 同じキリスト教でもノボルとは違って、ミチルの両親が信仰していたのは旧教――カトリックの方だ。彼らがいつ回心したのか、ミチルは知らない。しかし折々の宗教的な儀式や習慣は一家の生活の中に組み込まれていて、良くも悪くも原子のように分かちがたく全員の肉体と結びついていた。そのことがよくわかるのが四旬節のころだった。
 カトリックの慣習では、復活祭の一月前から断食が行われることになっている。正確に表現するなら求道者が行う修行のような完全な断食ではなく、この期間に避けることが推奨される食品がバチカンから定められていて、信徒はそれに従うという形になる。どちらかといえば食事制限に近いものだ。
 小学生くらいのころ。ある日の朝、彼女は布団から出て顔を洗ってから朝食をとろうとしたときのことだ。そのときテーブルにはコップ一杯のグレープジュースと、一枚の食パンしかなかった。明らかに栄養が乏しい食卓を目にして、やれやれ、また四旬節かと辟易したのを彼女は覚えている。
 当時ミチルは節制(それにしても彼らはやりすぎだったが)を推奨される年齢から除外されていたのだけれど、両親は自分たちの行おうとすることに彼女を問答無用で巻き込んだ。そしてもし娘が彼らに反抗するようなら、2人は容赦なくミチルを殴打し、彼女が持っている個人的な意見と意志をねじ伏せて、従わせた。そうすることで自分の子どもが、アッシジのフランチェスコやマザーテレサみたいな素晴らしい人になれると信じているみたいだった。

 だから彼らはこと宗教的な行為について、一切の妥協を許さなかった。復活祭までの期間、ミチルは身体的機能を維持するのに必要な栄養は学校の給食でしのがなくてはならなかった。しかし給食があるのはまだましな方だ。

 復活祭は三月下旬から四月の上旬に行われる。四旬節はその一か月前から始まるので、どうしても途中で春休みに入ってしまう。そうすると空きっ腹を抱えたまま一日を過ごさなければならないこともままあった。
 素直にお腹が減ったと父や母に言えば怒られるので、下手なことは口にはできない。そのうちに彼女はだんだん妙な心地になってくる。次第次第に誰かに向かって祈りたくなってくる。
 それが何者なのか、と問われればちゃんと答えられる自信が彼女にはない。ただ誰でも良いからあの人たちをどうにかして欲しい。何なら殺してくれたってかまわない――。あの頃のミチルはそんなことばかり考えていた。


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