私と似ている誰か、誰かと似ている私

前回

 バレンタインデーを間近にしたデパートの催事場はチョコレートの香りに満ちていて、ちょっと感心するほどのにぎやかな人混みになっていた。もし水着でこの中に飛び込んだら、広い空間を端から端までクロールで泳げるじゃないかとさえ思う。そうしてショーケースカウンターの向こう側で展開する光景に、私はうんざりするというよりも茫然とした。

 短期で販売員のアルバイトをするのに決まったのは、何らかの事故や犯罪で貯金や年金のデータが全部消えたとか、ベーシックインカムが停止されたとか、唐突に借金が出来たとか、そんな深刻な事情はまったくない。年が変わったから新しいことがしたいという、彼の思いつきだった。

「せっかく自由の身になったわけだし、たまにはこういうのもいいだろう」

 求人サイトから送られてきた情報を、こちらのウェアブル端末に共有しながら彼は言う。先月半ばの話だ。この時期――大きなイベントを間近にした月は百貨店からに至るまで現存する、あらゆる商店が店員の募集をかける。彼が見せた広告もその1つだった。

 100年や50年前とは違い今の時代は電子決済が主流だし、在庫管理や商品説明もロボットやアンドロイド(バイオノイドよりも機械に近いもの)に任せた方が効率がよい。しかしこのような求人を出す商店では、あえてレトロな(悪く表現するならアナログな)方法を一部使用している。理由はおそらくかつての私と同じように、懐古趣味を持つ層が一定数存在するからだ。

「急だね。どうして?」
「実を言えばずっと昔から、自分でやってみたい仕事を選んでみたかったんだ。暇が出来たんだから、活用しなければ損だしね。それに時間は拘束されるけれど報酬は貰えるし、別に悪いことじゃない」

 彼はそう口にしながら、極めてにこやかな笑みを浮かべる。見ている方も楽しくなるようなご機嫌な笑みと顔つきで、こちらもなんだか気分が良くなってくる。そういうわけで私は彼のアイデアに付き合うことにした。

 もちろん原子プリンターの普及によりハンドメイド品の価値が上がっているのは知っていたし、イベントごとなので忙しくなるとは事前研修で聞いていた。しかし実際に現実を目の当たりにするまで、それらの事実がどのような意味を持っているのかを、私はちっともわかってはいなかった。

 人々は集合と離散を繰り返しながら、かたつむりに似たゆったりとした足取りで、会場内を移動していた。その理由を私は知っている。素材とモチーフは違えども、専門職人たちが製造したチョコレートはどれも繊細な造形をしていて、眺めているだけでもとても楽しいのだ。
 くわえて並べられた商品のどれもが名工の力作ときている。これらが広い会場にみっしりと詰まって軒を争う風景は、まさに晶洞を連想させるほどに壮観だった。お菓子自体の持つ華やかさや、それを具現化させる技術の巧妙さはあちらこちらから漂ってくる甘い香りとともに、私の頭をくらくらさせた。

 とはいえそんな私の感傷など、今はまったく関係ない。ぼんやりとしているあいだにもお客さんはどんどんやってくるし、私は従業員としてきちんと彼ら彼女らに対応しなければならない。私は通りがかる買い物客に声をかけ、求められれば商品を説明した。商品が売切れれば謝罪し、在庫が残っていれば品出しをする。以上のことが1日の内で何度となく繰り返された。
 そうして3日目のこと。その日は会計担当で絶え間なく到来する、お客さんをレジスターの前で捌いていた。何番目かのお客さんがふと、声を上げる。

「お兄ちゃん?」

 まるで長いあいだ求めていた探し物を考えもしなかった時と場所で見つけたみたいな、驚きが強く押し出された声音だった。私は反射的に手元のカルトンから目を離し、視線を相手の方に移す。するとグレンチェック柄のマフラーを巻いた若い女性が現れる。

 彼女はてっぺんに毛糸玉がついた、赤いニット帽をかぶっていた。着ぶくれしたコートが膨らんでいるせいで全体的に丸っこい。、それがマフラーと帽子の合間から覗く垂れ気味の大きな双眸とが相まって、どことなく幼い印象を与える外見になっている。
 彼女はまぶたをぱちぱちと瞬かせながら、両目を開いて大きく開いて、私の顔をじっと眺めていた。だが、すぐに視線がすっと和いで元に戻る。そして彼女は再び口を開く。

「ごめんなさい、人違いでした」

 ついで彼女はお釣りと商品を受け取ると、すみやかにその場をあとにする。何だったんだろう? 遠ざかっていくボールじみた後ろ姿を眺めながら、そう考える。けれども答えが出るも間もなく、私は次の会計を始めなければならなかった。

 それから、しばらく経ったころ。依然として会計作業を続けていると不意にこれください、と大きめの声で話しかけられる。その聞き覚えのある声色に、あれっと思って私は顔を上げる。次の瞬間、さっきのマフラーを巻いた女性の姿が視界に飛び込んできた。
 これ、ください。彼女は再びそう口にしながら、クッキーアソートの箱を突き出してくる。商品を受け取った瞬間、かさりと乾いた何かが指先に触れる。バーコードを通すときに、底が見えるようさりげなく箱を傾ける。ぴったりとメモの切れ端が張りついていた。

 支払いが終わったのちに、相手に商品を渡す。彼女が去っていったあと、私はメモに素早く目を通した。その紙面には地下二階にあるカフェの店名が書いてあって、もし可能なら仕事が終わった後に来てほしいと続く。待っているから、と。また、あなたと話がしたいとも。

 あまりにも突然なことに、私はひどく戸惑ってしまう。たいていの人には初めて出会った――ほとんど見ず知らずの他人に、そんなことを言う義理はない。でも、あちらには必要がある。羞恥心を乗り越えて、段取りを踏むだけの情熱がある。その事実に対する困惑は、ある種の恐怖と言い換えても良かった。

 とはいえ指先から冷えていくような感覚がする一方で、なんとなく様子が気にかかるのも本当だった。メモを……手紙を渡してきたときの眼差しがとても澄んでいて、真剣なのがわかったからだ。またあの中にはやましさやとりつくろいなど、どこにも存在していないようにも思えた。だからこそ、よけいに困ってしまう。彼女の行為が善意に由来するのか、悪意に由来するのかまったく区別がつかない。

 どうしよう――。仕事のあいだ、その一言で私の頭はいっぱいになっている。私の事情などおかまいなしに仕事は続く。それとともに容赦なく時間は流れて、やがてシフトが交代になる。貸与された制服を返却しICの社員証で退勤時間を記録する。ほどなくして、気がつくと私の足は自然と指定されたカフェに足を踏み入れていた。そしてそこでは確かに、手紙にあった通り彼女が待っている。

 午後を大きく過ぎて、夕方を間近にしたカフェは今一つにぎやかさにかけていた。閑散としていると表現するほどではないけれど、客入りはまばらで空席がぽつぽつと目につく。彼女が座っていたのは、そんな店の中で一番奥まった目立たない席だった。

 店内外を仕切るパーテーションの陰になっているために、彼女のいるあたりは少しだけ暗い。だからだろうか。さきほどとは違って、大人びた印象に変わっている。もちろんコートやカーディガンを脱いで、着ぶくれが解消されたことが大いに関係しているのだろう。だがそれだけではすませられないほどに、彼女は寂しげで切なそうな雰囲気をまとっていた。まるで大好きだったけれど、何年も前に忘れ去られてしまった歌手の楽曲を久しぶりに耳にしたみたいに。

 そのような面持ちで彼女はコーヒーか、もしくは紅茶の入ったカップを両手に持っている。そして思い出したように、ときおり少しだけ傾けた。
 私は彼女に対してどのように声をかければいいのか、わからない。とりあえずあちらに歩み寄ってみると、彼女はふと顔を上げてこちらを見やる。小さく跳ねた髪が落ちるとともに、コーヒーの香ばしい匂いがすっと鼻先に漂って消えた。

「どうも」

 私は会釈する。彼女はいささかのあいだ、こちらの顔をぽかんと見つめていた。それが一転して、酸欠の魚のように口をしきりにぱくぱくさせる。見るみるまに頬が淡い桜色に染まっていく。ついで膝を立てた瞬間にがたり、と突き飛ばされた椅子が大きめの音が響かせた。

 いいから、いいから。私が相手を抑えると、相手は腰を落として席につく。まだわずかに興奮が残っているようで、頬にうっすらと赤みが残っていた。けれども店員がお冷を持ってくるころになると、すっかり色は引いて様子は落ち着いている。

「すみません。きっと、来てもらえないだろうなと思っていたので」

 注文を受けた店員が立ち去って、まもなく彼女がそう口を開く。薄いガラスでできた鈴を思い起こさせる細い声だった。とはいえ小さいとか聞き取りづらいとかそういうわけではない。発音は明瞭で淀みがなく、意志と芯が感じられる。そんな声でもあった。

「正直に言えば、迷いました。こんなことは初めてだったので」
 私は言う。
「なら、どうして――」
「何か変な感じだったら、すぐ帰ればいいかなって」

 言いながら軽く唇が曲がっていくのが感じられ、同時に砂を噛んだような変な気持ちになる。なぜなら今、口にしたことの半分は真実ではなかったからだ。もちろん完全な嘘でもない。けれど正確に表現しようと努めるなら、釣り糸でひっぱられるみたいに何となくここに来たと述べた方が適切だった。

「お仕事はもう終わったんですよね?」
 いささかの間を置いたのちに、彼女が再び口火を切る。
「はい。後は帰るだけなので、こっちに来たんですけど」
「すみません。お時間をとらせてしまって」
「別にかまいませんよ。隣人の仕事上がりまで、適当に時間をつぶすつもりでしたから」
 一体、何の話をしているんだろう。
「あっ、じゃあ時間とか大丈夫な感じですか?」
「いや――彼は私より遅番だから、まだ仕事場にいるよ。今ごろ、着ぐるみを着て風船を捌いてるんじゃないかな」

 青色か、赤色か、あるいは他の色かは知らないけれど。そう答えながら私は、仕事場のことを話すときの彼の顔つきを思い出している。帽子とマスクで顔が見えない心地いいと、ひどく愉快そうに口にするのだ。

 そうですか。答える声には含みが残る。しかしこれ以上は続かない。小さく上下する唇からちらちら舌の先が覗くばかりで、彼女はなかなか話し始めなかった。まるで地図にはない三叉路に出くわしたように、何かに迷っている。

 店員が持ってきたアイスコーヒーを私の前に置いて、去る。やがて山になった氷の一番上がからんと涼やかな音を立てて、グラスの中で崩れる。そのあいだ私たちはずっと黙り込んだままでいた。
 ……再び口火を切ったのは、彼女の方だった。まっすぐに私へ視線を向け、明確に意志が感じられる力強い声でこう言う。

「私、オギワラっていいます。漢字コードだと荻でいっぱいの原っぱって変換して、荻原」

 彼女の名前はオギワラ・メイという。ネットの広告でたまたま見かけた、バレンタインの催しに惹かれデパートに来たのだそうだ。さいわい今日は学校が休みで、体は身軽だった。そして彼女は私と会った。
 チョコレートと喧騒で満ちた催事場の中。目について気に入った品物を買い、会計を済ませて商品が渡されるとき。何気なく視線を向けたとき、彼女には私が自分の知っている人――お兄ちゃんに見えたのだという。今はもう、世界のどこにもいない人に。

「お兄ちゃんと言っても、家族じゃないんですけどね。家が隣同士だっていうだけで」
「私の容姿がその方と、よく似ていたと」
「レジでちらりとあなたの顔が目にはいったときに『あっ、お兄ちゃんだ』って。でも、違うんです」
「違う?」
「何から何まで違うんです。体つきとか顔の形とか、声とか指の長さとかが全部。そんなことはすぐにわかります。けど、あのとき、あなたが顔を上げた瞬間。ほんの少し……一秒かそれよりも短いあいだだけ、“あっ、お兄ちゃんがここにいる”って――」
「今はどうですか?」

 あなたには私が、その人に見えますか? そうこちらが問いかけると、オギワラ・メイはゆっくりと首を横に振った。

「ぜんぜん。でも、あたしに声をかけてときには、同じように見えました」
「とても大切な人だった?」
「大切とは何か、違います」
 違うのか。
「そんなことはいっても、とっても変な感じなんです。実際、会えなくなっちゃうと。どんなのおもしろいところに遊びに行って、どんなにおいしいものを食べてても、けど一人足りないんだよなあなんて思ったりして。こんなの、きっとあたしだけの話じゃないんですけど」

 とはいってもそんな感覚が何だかとっても嫌なのだ、と彼女は言う。そのような彼女の感じ方を、うまく引き寄せて考えられない。まるで薄い膜で隔てられたかのように自分事とは思えないでいる。しかしどんなに理解しがたくても、抗いようのないことがあった。

 どうして泣いているんですか。こんな彼女の声が耳に届く。反射的に自分の頬に触れると確かに肌が濡れていて、涙が筋を作りながら頬の上を流れているのに気づく。
 本当だ、何でだろう……。言いながら、私は紙ナプキンを幾枚か手に取る。オギワラ・メイもハンカチを差し出してくれたけれど、そちらは丁重にお断りした。他人の、それも知り合ったばかりの人の持ち物を汚すのは、何だかとても申し訳なかったからだ。さいわいなことに、いくらかしないうちに涙はすぐに止まる。

「あの、ちょっと変なタイミングで変な話をするんですけど」
「はい」相手の言葉に、私は答える。
「よかったら、また会ってもらえませんか。それで、こんな風に話をしてもらえませんか。本当に、よければでいいんです」

 途端、ずんと私の口は重くなる。角が立たなさそうな文句がわからないとか、この場にふさわしい返事が浮かばないなどと表現するよりも、もっと不定形で呆然とした感じだった。たとえるならばその感覚は、生まれて初めて連立方程式を目にしたときとよく似ていた。思い浮かんだことのすべてが正解である気もするし、あるいは逆に不正解だという気もする。それ以前に正しい定義とは、どのようなものかすらも理解できない。そんな混沌とした感じが。
 私が黙り込んでいるあいだにも、彼女はじっとこちらを見つめている。視線を外すことなく一筋に。その場しのぎの――おざなりな返答は許されない、と確信できる眼差しだった。

「そんなことを言われても、私はあなたのお兄さんではないんです。全然別の場所と時間に産まれて、まったく違う生活圏で生きてきた、きちんとした別人なんですよ。そのことを、きちんとわかっていますか」
「わかっています」彼女はきっぱりと言い切る。
「けど知りたいんです。どうしてあのとき、あなたの顔がお兄ちゃんのように見えたのか。きっと何度も顔を突き合わせて深く話し合えたら、その理由がわかるんじゃないかと思うんです」
「とはいっても、もしかしたら私は悪い人かもしれない。あなたのお腹をかっさばいて、手足や内臓をばらばらにして世界中の色んな人に売り飛ばそうとしているような、そんな人なのかもしれない」

 もし、そうだったら一体どうするのか? 私はオギワラ・メイに問いかける。すると彼女は軽く目を伏せ、唇を引き結んで何事かを考え込む。それは少しのあいだだけで、すぐにこちらに向き直る。やはり透き通るような澄んだ瞳で。

「いいです。別に。ばらばらにされても」

 私は絶句した。というよりも言葉を見失った、と表現した方が正しいかもしれない。もちろん起こりうる可能性として、このような応答が用意されているのは予想できた。それに対する返答もあらかじめ考えていた。痛苦というのは容易に想像を超えうるもので、あなたが思い込んでいるほど御しやすいものではないのだと。そして感情は常に揺れ動くものなのだし、そこに必ずや絶対は存在しないのだとも。

 しかし実際に我が事として受け止めると、文言に乗せられた重みに戸惑ってしまう。戯言だと一蹴するには躊躇われるような、ある種の深刻さが彼女の言葉には含まれていた。それは涸れはてて打ち棄てられた井戸を連想させる、悲しみや怒りに裏打ちされた深刻さだった。だから私は心の底から困る。この人の声にきちんと応えるのには、一体どうすればよいのだろう?
 そのような私の動揺とは関係なく、オギワラ・メイは続ける。

「あたし、あなたがそんなひどい人ではないと思う。……いえ、思うんです。顔も声も知らない、会ったことのない、お兄ちゃんのために泣いてくれた人がひどいことをするわけがないって」

 それに変な人かもしれないのは、お互いさまでしょ。相手に対して私は何も言えないし、何と口にしたらよいのかも思いつかない。彼女の放つロジックが、どこかおかしいのは理解していた。けれどもそこを指摘しようとする気持ちには、とうていなれなかった。そんなことをすれば彼女の抱えている脆くて、柔らかい部分を傷つけてしまうように感じられたのだ。それも二目と見られないくらいに、徹底的に。

 オギワラ・メイはひたすら私の顔を眺めている。どんなにわずかな変化でも見逃さないという風に、真剣に。そのようにして私が返事をするのを待っている。だから、こちらも同じくらいに真面目に話をしなければならない。
 互いに綱を引き合うような緊張の中で、私と彼女は向かい合っている。買い物ではしゃいでいる店外の人々の喧騒と、店内の客たちの密やかな密やかな話し声だけが耳についた。

      *

「なにかあったの?」

 夕方。それも限りなく夜に近づいてきたころ。正面玄関付近の――古時計を模した大きなオブジェの前で彼と合流した。そうして私の方をかえり見るなり、このように訊ねてくる。

「どうして?」
「目蓋がちょっとふくれて、赤くなってる」

 泣いたね、と指先で撫でながら彼は言う。それについて私は否定もしなければ、頷くこともしなかった。ただ一言ちょっとね、とだけ答えてお茶を濁す。途端、彼は眉をひそめた。

「いじめられた? 誰に?」
「そういうわけじゃない。少し、落ち着かなかったんだ」
「なんで?」

 彼が切るようにそう返してくる。極々短い問いなのに、鋭さを感じさせる口調だった。胸に食い込んでくるような鋭利さなので、肩が震えてしまう。きゅっと細めたために眼元が吊り上がって、それがよけいに険しい印象を深く焼きつける。

「これといったわけじゃない、でも何となく悲しくなった。そういうことってあるでしょ」
「本当に誰かに何かされたわけじゃないんだね?」
「うん」
 私は答える。まもなく彼はにわかに眦をやわらげて、すっと息を漏らす。溜息。いや、もっと不随意で、受動的な働きだった。ネジが緩んだところから、機械油がにじみ出てしまったという感じの。ついで彼は口を開く。なら、いい――と。

「でも困ったことがあったら何でも話す、助け合う――最初にそう決めたことだけは忘れるな。君は一人じゃないんだから」

 彼がそう言い締める。わかった、と私は返す。話はそこでおしまいになり、私たちは百貨店を出て家に帰った。

 帰宅してから、まもなくのことだ。コンタクトレンズ型のウェアラブル端末にテキスト通知が入ってくる。差出人はオギワラ・メイで、内容はこちらの予定を伺うものだった。都合の良い日があれば連絡して欲しいと。
 空中に表示されたウィンドウを眺めていると誰からか、と彼が訊ねてくる。文字列や背景のテーマカラーに隠れて見えづらいけれど、彼が好奇心とも心配ともつかない曖昧な表情をしているのがわかる。だから私は答えた。けして不安を感じさせないようにしっかりとした発音で、一語一語を丁寧に。知り合いからだ、と。

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