家を貸す
こんにちは。ご機嫌はいかがですか。そうですか、よかった。
お話はすでに伺っています。いくつか物件を見て回っているとお聞きしましたが、これかなという候補はもう決まっています? わかりました。この家が、あなたのお眼鏡にかなえばといいのですが。
どうでしょう、屋根の色。壁の色。この緑色、僕は好きなんですけど、他の方からはちょっと暗いかもしれないと心配で。ありがとうございます。
じゃあ、さっそく家の内を見ていきましょうか。そこ、段差があるので気をつけて。では、こち……あっ――!
すみません。お手数おかけしました。四肢のある機体には、まだ慣れていなもので。さあ、奥へ。
庭付きの一戸二階建て、2LDKです。いささか年季が入っていますが、壁も床も家具もどれもこれも奇麗です。以前の住人たちが丁寧に使っていましたので。食事用のプリンターや食洗器も、すぐにスイッチが入りますよ。こちらも古い年式ですが、メンテナンスさえ怠らなければ充分に使用に耐えます。
お風呂もトイレもぴかぴかでしょう。ここに手を入れていたのは掃除が上手な人だったんです。最初のうちはそうでもなかったらしいんですけど、何回も何回も繰り返していたら、とてもうまくなったんだそうで。良い話だとは思いませんか。少しずつの積み重ねと、忍耐が生活を美しくしていく。まあ、やらなければ清潔性が維持できないんですれども。でもそんな営みを、僕はとても素晴らしいことだと思うんです。
園芸をご趣味だとお伺いしました。ご実家のお庭の写真も拝見しました。ええ、だからご案内したんです。庭に行きましょう。
荻原さんから聞かされてご存じかもしれませんが、前の住人が長年かけて造り上げた庭です。土を耕して草を刈って、植えこんだ花や樹に毎日水をやり、ときに間引きをして維持してきた庭です。冬は椿、春になったらミズキ。初夏に紫陽花。夏はバラ、秋には白菊。そんな風に一年中、植物の香りが絶えることがありません。ちょっとしたお花畑ですね。
……ありがとうございます。本機が聞いたら、きっと喜びます。この場所は彼自身の誇りでもありました。痕跡、と呼んでもいいかもしれません。ええ。だから、庭の手入れを貸し出す条件に入れたんです。
「ンミミ」
何か聞こえた? いえ、僕にはわかりませんでしたが。あるとすれば……。おーい、出ておいで。――失礼しました。彼らは僕の分身です。家の中を見て回ってもらっていました。
ああ、大丈夫です。ネズミへの対策は万全ですし、ファイアーウォールも問題ありません。業者を入れましたから清掃も完璧です。お化けの出てきそうな要素もない、はずです。まあ確認作業はしすぎても、悪いことはないですからね。心配でしたら、証明書をご覧になってもかまいませんよ。そうですか。
そろそろ二階にもご案内しましょう。
広さの違う部屋が二室あります。寝室にしてもかまいませんし、書斎扱いしてもかまいません。あるいは二つの機能をどちらかに一本化して、もう片方をお客様用にしてもいいかもしれないですね。
そこのミニチュアハウスは僕の、というか僕の分身たちの拠点です。子どもじみた言い方をするなら、僕の部屋ですね。
はい、僕はここで育ちました。学校に行って遊びに出かけて、そして帰ってきて。行ってらっしゃいと言われたり、お帰りなさいと言ったり。そういう毎日を過ごしました。
そんな日々も今では夢や幻のようですが。でも本当にあったことで、僕に楽しさや悲しみを与えてくれた人たちも、実際に存在していたのをきちんと理解しています。この家はそういう人たちが築き上げたものだから、大事に使ってほしいと……。
失礼。お喋りが過ぎました。まだ人型の思考回路に慣れてなくて、こういうことがよく起きます。……――ありがとうございます。そうですね。内部の働きはバイオノイドも、人間も変わりがない。悲しいことは悲しんでもいい。
僕はあの人たちが好きだった。本当に。すべての機能を停止すると聞いたときにも、彼らの機体をリサイクル回収の車に乗せるときになっても、そして今でもずっと寂しいくらいに。
でも、それと同じくらいに燃え上がるような気持ちもあるんです。僕が彼らから受け取った一番善いものを、誰かに渡したいと。そういうわけで、この家を貸し出すことにしたんです。僕とタブノキとモルス、三人で暮らした家を。
はい、わかりました、返事をお待ちしています。どうぞ、よしなに。
(2022.6.30)
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