たましい、あるいはひとつぶんのベッド 3‐2

*タイトルは哉村哉子さんによる


 このころ祖父はミチルの祖母である自身の妻のほかに、二人の愛人を設けていた。そして彼は彼女たちを、まだ生まれて間もない仔犬のように扱っていたようだった。

 また、これは事件の捜査の中でわかったことだけれど、祖父には身を固める以前に思いを寄せた女性がいたのだという。しかし本当にお互いに心が通じ合っていたのか、そうでないのかはわからない。確かなのは彼女が消息を絶ったことだけだった。天敵に脅かされた野ウサギが自分の足跡を消すように、女性は完全に完璧に彼の前からいなくなった。その人こそが深山ノボルの祖母に当たる。

 振る舞い方や言葉遣いにはある程度の使い分けがあったけれども、彼自身はいつも配偶者や愛人に命令する立場にあり、女性たちは常にそれらを甘受する位置に立たされていた。また、その方法は彼女たちに精神的な屈辱と、多分な肉体的な損傷を強いるものだったようだ。そのような汚辱に満ちた過程で、五人の子どもが生まれた。ミチルの母もその一人だ。

 祖父は自らの子どもたちに対して一貫しない態度を貫いていた。例えばあるときには猫のようにとても可愛がったと思ったら、次の瞬間にはいきなり怒髪天を衝く。あるときにはとってつけたような理由で罰として一日の食事を取り上げ、あくる日には食べきれないほどのご飯やお菓子を買い与える。そんな不安定な行動をとっていた。そのために母の兄弟姉妹たちはまるであざみの混じった花畑を歩くみたいに、父親の気分を見極め、必要に応じて機嫌を取らなければならなかった。

 ついで彼はありとあらゆる毀誉褒貶に関する言葉を駆使して、兄弟姉妹の間で闘争を促した。この試みも成功をおさめることになる。祖父の教えを潜り抜けたある者は優秀な成績を収めて国立大学に入学した後に官僚になり、別の者は政財界で手堅いポストを持つ一族の子弟と婚姻関係を結んだ。傍目から見ると、彼らはとても上手くいっているように思われた。

 だが、この塩見流の教育は子どもたちに激しい緊張と混乱を引き起こしたようだった。それは非現実的に多額の遺産を貰っても、ありあまるほどの負債だった。

 長じるにつれてミチルの母は、そんな家庭の状況に嫌気がさしたらしい。大学入学を機に実家を出たまま、とうとう生きて戻らなかった。そのために、彼女は健在だった祖父にはついぞ会ったことがない。ただ綺麗な老人だったと、ノボルから聞くばかりだ。

 深山ノボルがまだ小学生だったころ、父親に連れられて彼は一人の老人に出会う。そのときはよくわからなかったのだけれど、のちに老人は彼の祖父だというのが判明した。

「初めてお会いしたのは多分、十一か十二くらいの頃だったと思います。それまで老人というのは絵本の魔女みたいに――男の人なのにおかしな話ですが――皺くちゃで背中の丸まった小さいものとばかり思っていたのですけど、その人は背筋もしゃんとしていて、何だかとても立派に見えたんです」

 事件の渦中、二人きりで枯れ井戸に閉じ込められたときに、彼がこのようなことを言っていたのを覚えている。おそらく遺言状の性質からして、身分証明が必要だったのだろう。彼はその場で手形を取られ、髪の毛を切り取られ、血液まで採取されたらしい。その後に写真を貰った、とノボルは言った。

「いまここで血と髪を差し出せば僕は将来お金持ちになって、そしてこの子がお嫁さんになるのだと」

「え、何それ。わたし、そんなこと今まで全然知らなかったんだけど」

 それからまた怖い、という一言が口を衝いて出てきたのが記憶に残っている。自分の声なのに違うところから聞こえてくるように思われたからだ。

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