たましい、あるいはひとつぶんのベッド 3‐3

※タイトルは哉村哉子さんによる


 そののち名探偵により二人が地下の暗闇から救出されたあと、全ての謎が明かされ、首謀者が全ての事柄に自ら幕を引く。そしていくつかの葬式が行われ、事情聴取が済み、何もかもが終わったあとことだ。深山ノボルはミチルに籍を入れようと持ち掛けてきた。それは過誤のない数式みたいに、まるでこうなるのが当然だというような風情だった。

「実をいえば、相続権を放棄するつもりなんだ」

 ミチルは言う。

「完全に、完璧に?」

「そう。完全に、完璧に」

 そのとき二人は塩見の屋敷の庭内にある、銀杏の並んだ並木道を歩いていた。真っ直ぐな道路がだらだらと続く、長い並木道だ。落ち葉のために道路が刷毛で塗ったように黄色くなっている。その上を踏みしめる度に、靴の底がかさかさと密やかな音を立てた。

 数歩先を行く男は前を向いたまま、こう口を開く。

「まあ――お金持ちになれないのは少し惜しいですが、良いでしょう。慎ましやかになりますが、それも新婚らしくて味わい深いかもしれない」

「一体、あなたは何をいっているんだ」

「俺たち結婚するんですよね。そうでしょう?」

 少しのあいだ彼らは口を噤んだまま先へ進んでいた。けれどもいささかの沈黙を経た後に、まずノボルが切り出した。ねえ、ミチルさん。

「俺たちはとても幸運なんですよ。お互いに監禁されたり、迫ってくる壁とかから逃げきったり、井戸の中に閉じ込められても生き残れるくらいには相性も運も良い。印象的な出会い方もした。そんな人を、一生涯見つけられない者だっている」

「その幸運がどこから湧いてきて、どうして私たちに降ってきたのか、君にはわからない?」

「だからこそ、俺たちは一緒にならなければならないんです」

 軍事地政学的な難所を攻略しようとする将軍を思い起こさせる、断固とした口調だった。自分と一緒になって何がしたいのかと、ミチルは前を歩く男に訊ねる。

「一つの家に、一組の夫婦。そして彼らの子ども。誰にも手出しなんてさせないし、俺だって余所には手を出さない。俺はあなたと、その子どもだけを愛します。祖父たちと同じ轍は踏みません」

「なるほど」

「そうだ。落ち着いたらどこか良い家を探して、二人で移りませんか。暮らすとしたら一軒家だな、ペットを飼えるところがいいな。飼うとしたら犬だ。コギー、ブル・テリア。あのあたりを一匹――」

「でも、私はあなたとは一緒に暮らさない」

 それに生き物なんて下手な真似したらすぐ死ぬんだ――そう、ミチルが口にした。それからいささかのあいだ、二人は黙り込んだままで歩き続ける。落ち葉を踏みつける柔らかい音が、耳の中をさっと撫でるように響いて消えた。

「死んだ人間の、他人の言うとおりにするなんて嫌だ」

 ミチルが口火を切る。それからわずかに間をあけたのちに、さらに続けた。

 少なくとも、お金はあって損はない。むしろあった方が得をする。それは資本主義社会において、これは厳然たる事実だ。その中で生きているミチルは、それを受け入れざるを得ない。

 また結婚も、というか誰かと協力して何か、新しい爽やかなものを築き上げてゆこうとするのは素晴らしいことだとは思う。だけれどもこの両方を兼ね揃えても、ノボルと自分が上手くいくとは彼女には到底考えられなかった。

 ミチルが遺産を受け取る条件として、祖父の遺言書には深山ノボルとの結婚が指示されている。いや、仕組まれていると表現しても過言ではないだろう。塩見冬彦はミチルの写真を持って、彼が幼かった頃に接触している。あまつさえ、この女の子が自分の伴侶になるのだと言って。そして彼は見事に信じ込んでいる。

 その上、婚姻関係が成立しなければ遺産は一定の金額でそれぞれ子どもたちに等分されるという条件がついている。そんなことを連中が許すわけがない。ただでさえ、彼らは長いあいだ祖父に煮え湯を飲まされてきたのだ。相応の報いを欲しがるのは当然のことで、それを承知の上であんな遺言を作るのは、まるで何か事が起こって欲しいと願っているようなものだ。そんな後ろ暗い企みに、ミチルは荷担などしたくはない。そういうようなことを彼女はノボルに言った。

「そもそも結婚したら遺産が……ってのが、私は気に入らないんだ。札束で釣るように他人同士を結婚させるなんて、どう考えたっておかしいだろう」

「でもどんなこと仰っていても、いずれは一緒になりたくなるはずですよ」

 何故なら俺が諦めないからです――。頭に浮かんでいたことを述べると、相手はこんな風に返してきた。それは反論をさせる余地のないくらいに、力強く言い切った。

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