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バラ科酒類/料理

今までの

ギザブロー登場回

 近所の人から青梅をもらう。庭に大王梅(遺伝子編集で大きくさせた梅)の樹があり、この時期になるとたくさん果実が成るから。折を見て人に配っているという。どうやら家内では消費しきれないらしい。今回の場合はロボットのデータバックアップを手伝った、お給料みたいなものだ。
 私は家に戻るとさっそく果実を水に漬けた。このあいだに必要な品を通販で注文し、お酒を造る準備を始めた。
 消毒したガラスの大瓶に青梅を氷砂糖と一緒に詰め込み、ホワイトリカーやお酢に漬ける。そうして3か月くらい瓶を冷暗所に置いておく。するとお酒やその原液ができるのだ。今は6月の初旬だから、きっと解放祭のころにはほどよく仕上がるだろう。

「漬け終わったら、またジャムにしよう。あれはおいしかった」
「砂糖の量がえげつないけどね」

 私は布巾で濡れた梅を拭いながら、テーブルの向こうの彼にそう答える。そうして水気が無くなったところでボウルに移し替えると、ざるからまた新しい実を取り上げた。
 その動作がいささか無造作だったらしい。積み上げられた梅の実の1つが飛び出し、小さな山裾をポロリと転がっていく。2人がかりでやっつけてはいるけど、これは、まだまだかかりそうだ。

 長いあいだ。私たちはざるの中の果実を拭いてはボウルに移し、拭いては移しを繰り返す。今、このリビングには、そんな動き以外は必要がなかった。ただ、しとしとと雨雫が庭に降りしきる音だけが耳につく。窓の……家の外は朝から細雨だったのだ。
 そんなある瞬間、彼がおもむろに声を上げる。ねえ。

「この家には大人が2人しかいないだろう」
「うん」磨きながら私は答える。
「だからさ。僕たちだけでお酒を飲むには、ちょっと量が多いかなって思うんだ」
「食べたいんだな? ジャムが」

 まあ、いっぱいあるしそっちに回してもいいんだけど。そう口にしながら、傍にある二つの容器を交互に見比べた。ボウルはほとんど満杯になっているが、ざるの方はまだ半分も減っていない。確かに、これら全部をお酒にするのは現実的ではないだろう。
 ふと、薬味にとうがらしとニンニクを置いているのを思い出す。これらで漬け液を作って、ピクルスにしてもいいかもれない。

「黄色くなるまで放っておいて、コンポートにするという手もある」
 私の思いつきについて、彼はこのように返してくる。
「味噌にして、炒め物と一緒にしてもよさそうだね」
「シンプルに梅干し」
「しょっぱいのは嫌いだ。漬けるなら、はちみつがいい」
「あるいは、こういう楽しみ方もできる」

 次の瞬間。彼の手中から果実が消え、まもなく彼の左の頬がぷっくりと膨らむ。それはまるで冬を迎える前のリスを連想させる圧倒的な丸みだった。計算したみたいに美しい曲線だったのだ。
 しかしいくらバイオノイドとはいえ、いつまでも食べ物を頬に溜めておく機能はない。彼は口の中の物を少しずつ咀嚼していく。その光景に私はなんだか不思議な感慨を覚える。人間の目に鮮やかに映るよう調整された容貌でも、食べ物をむちゃくちゃに貪るときは動物じみて見えるのだと。どんなことがあろうとも彼の優美さはけして崩れるはずがないと、すっかり思い込んでいたせいだ。とても愚かなことだけれど。

 おいしい? 私が問いかけると、相手はしっかりと頷いてみせる。時を経るのにしたがって、頬の膨らみは確実に小さくなっていく。
 やがて顔つきがすっかり元に戻ると、彼は口内の残留物をまるごと呑み込む。ぐわん、と効果音が響いてくるような見事な呑みっぷりだ。その瞬間、私はあることに気づく。

「種ごと食べたでしょ」
「うん」少し間を開けたのちに、彼は事も無げに答える。あまりにも平然とした様子なので、私はひどく戸惑ってしまう。ようやく口火をれたのは、それから少ししてからだった。
「今は二人きりだからいいけど、ギザブローの前ではやめてね。変な習慣を覚えたら、どこで困るかわからないんだから」
「やっぱりダメかな。よく燃えて気持ちがいいんだけど」
「ダメじゃない。ダメじゃないけど世間にいるのは、バイオノイドやロボットばかりじゃないしさ。彼はこの先、いろんな人と付き合うことになるだろうし、どんなことをしたら危険なのかはきちんと身に着けておいた方がいい。迷惑をこうむるのは、なにも彼一人とは限らないわけだし」

 だからこういうことを楽し気に見せびらかすのは正しくないと思う。ほら一事が万事だっていうだろ――。そう口にしながら、私は変な居心地の悪さを覚える。たとえるなら、それは図らずもドレスコードに背いてしまったときとよく似ていた。一刻も早くここから立ち去るか、着替えなければいけないというような焦りを伴う感覚だった。

 私が唇を動かすあいだ、彼は相槌を打ちながら、濡れた梅の実を布巾で拭いている。何十年にも渡って生業にしているみたいに、ひたすらに。じっと眺めていると、彼はふと顔を上げた。私も彼の方を見つめていたので、おたがいに目線がかち合う格好になる。刹那、私の口の中にすっぱいものが飛び込んできた。

「二人きりならいいんだろう」

 言い締めた後、彼はもう一度果実を食べて見せた。再び口の中に投げ入れられたそれは、さきほどのものよりかは肥えておらず、キャンディーみたい小さかった。半分に割られているためだ。

 咀嚼している彼につられて、こちらも顎をもぐもぐと動かしてしまう。果肉を歯で噛んで削るたびに、まだ残っている梅が右や左に舌の上で転がる。ひたすら噛み砕いているうちに、食べ物はどんどん形を失い、やがて喉の奥に消えてしまう。

 それからしばらくのあいだ、私は何も言えなかった。もちろんぜひとも相手に申したい意見や、呈しなければならない苦言はたくさんある。けれどもその量があまりに多いので、かえって言葉が胸の奥で詰まってしまう。だだ、ほのかに酸みを帯びた後味だけがこの場にあった。
 あっけに取られている私を尻目に、彼は水気をとった青梅をボウルに移しながら口火を切る。去年もこうやって食べたよな。

「来年も、再来年も、その次もこうして一緒にいられたらいいな」

 相手の声が途切れると、沈黙が室内に広がった。彼はこれ以上話を掘り下げはしないし、私はやはり唇を引き結んだままでいる。そのあいだにも外では生糸のような細い雨雫がしとやかに降り続け、紫陽花の白い花びらや葉っぱを小さく打ち揺らしていた。


※未熟な青梅の種を摂取すると中毒症状を起こし、場合よっては死に至ります。絶対に食さないでください。

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