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福沢諭吉でも政府に警戒されていた時代がある(政府と意見が違うから任命拒否すべきでない理由)

慶應義塾の創設者、一万円札の顔ともなっている福沢諭吉は、100年以上前に時代に先駆けた政策提言を積極的に行っていた。

その中には為替相場の安定化と横浜正金銀行の設立など、政治家に提言され成功したものもあったという。https://apipress.net/issues/2019/11/06/post-948/

さらに、現代の私達にもっと影響を与えている構想がある。経済的精神的に自立した個人が男女平等の家庭、地域社会を形成し、これらを基盤に議員内閣制と二大政党制に支えられた政治体制を導入するというものだった。

今から見れば危険でも何でもない当たり前の構想だが、当時は天皇を中心とした藩閥政府。諭吉の構想は警戒され、明治政府から密偵を放たれ危険人物扱いされていた時期もあるという(小川原正道『福沢諭吉』官との闘い』)。
そして、これらの構想は、敗戦後の占領期になってから再び脚光を浴びることになった。

政治に対する意見はどうしても時の政府には受け入れにくい。それは政府に限らない。私達だって自分と違う意見は排除したくなる。
とはいえ、福沢諭吉の構想のように、ある政権に警戒されても、次の時代を作り上げ社会の基盤になっていくこともある。
外部の学者の意見を取り入れることが新しい時代の基盤づくりを支えることや、政権への提言が100年経ってから評価されることは歴史が示している。

だからこそ、政府に提言する諮問機関の任命には、その時代時代の政府からの独立性が求められる。時の政権が政府と違う意見の学者への諮問を拒めば、一貫した広い学問の視点が社会に還元されなくなってしまう。そして、それにより不利益を被るのは私達や次の世代だ。