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耽溺

唇から身体全体に、熱が水紋のように拡がっていく。その時感じた温度と感触は、正しく僕の脳味噌に記憶された。

恥じらいと危うさで、僕たちは容易く酔えてしまう。
不思議だ。
叩かれたわけでもないのに、頬がこんなふうに熱を持つなんて。
自分のものでは無い誰かの呼吸が、心音が、命そのものが直ぐ傍にある。それを一度でも意識してしまえば、忽ち五感は敏感になった。そうして、そうする必要はないのに、何故かその時僕はいつも息を止めてしまうのだった。
幾らでも乱暴に振り回すことができてしまうのだよ。人間の身体というのは。
それなのに、同じ手なのに、僕の襟足を「金魚の尾鰭みたいで可愛いね」と言って、さわさわと愛撫するその手は一向に鋭くならなくて、僕を捉える君の目はやさしくて。あつさに弱い身体は、もうすっかりとのぼせきっていた。

耳に、瞼に、首筋に、明かりを灯していくように、君は僕に色を遺していく。迸るという表現が相応しい、全身を畝るあまりに甘美な快楽には到底耐え切れず、恍惚とした小さな悲鳴と吐息をこぼす事だけが、今の僕に為せる君への精一杯の呼応だった。

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二十二時二十分頃。
近くにある線路を夜汽車が勢いよく駆けていき、遅れて窓枠がガタガタと音を立てて揺れた。
夕暮れ時に、日向と日陰の世界が交わるように、宵の最中、二人の境界線は少しずつ曖昧になって、熱を帯びながらじんわりと融合を始める。限りなく透明に近い僕の身体に、夜と藍色が流れ込んだ時、目の前でぱちぱちと火花が散った。きっと、経った今僕は君と同じ色の目になったのだろうな。


僕たちは離れがたい。
こうして互いの熱に溶けあって、虹彩に溺れて、個体や輪郭を喪ってしまうことも厭わない、愚か者であるが故に。

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