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学ぶ意味とは何なのか?-J.Sミル「大学教育について」-Rank A

センター試験が終わり、新しい共通試験が始まる。教育の問題は話題になっては消えていくのを繰りかえす。その前は文系学部の廃止論が大きな話題になっていた。

最近のこうした話題を見るとどうも目先のことに集中しているように感じる。これも日本が長らく経済的に発展していないことが原因であるように思う。そうした焦燥感がいち早く結果が出ることのみに人が関心を寄せるようにさせている。内田樹がサル化した世界と呼ぶこの世界では、人々は学問は実利にかなうものでなければならないと錯覚している。

実利がないものを学ぶ意味はあるのか?


学問とは何のためにあるのか、どのような意味を、価値を持っているのか。一人の男が150年前に行われた講演の中で、この疑問に対して鮮やかな回答を示した。スコットランド最古の大学のセントアンドリュースの名誉学長就任挨拶として行われたこの講演は大学教育の原点を教えてくれる。150年前に人たちが抱えていた問題と今の我々が抱えている問題が全く変わっていないことに驚くばかりである。

ジョン・スチュアート・ミル(J.S.ミル)は政治哲学者として多くの影響を与えた傑物である。彼がこの講演で話した内容は「大学教育について」として一冊にまとめられている。


一般教養の重要性から話が始まり、続いて科学教育、道徳科学教育、宗教教育、美学・芸術教育と個別の教育の必要性について述べられている。それぞれについてなぜ学ぶ必要があるのかJ.S.ミルは教えてくれる。

この個別の話は面白く、示唆に富み納得できる内容である。しかし、直接我々が抱えてくれる疑問に答えてくれるわけではない。我々が目下答えなければいけないのは実利に資さないものを学ぶ意義とは何かだ。

J.S.ミルの答えはこうだ


「諸君が人生に対してますます深く、ますます多種多様な興味を感ずるようになる」p134.


少し補足をしたい。諸君とは講演の相手である大学生に対し手に向けられている。150年前、高等教育を受けられる者は極めて一部のエリート層に限定されていた。特にスコットランドであったことを考えるとなおさらだ。すなわち彼らは国にとっての宝なのだ。

J.S.ミルは、エリートとして、彼らに国の困難な事柄の殆どは君たちが解決しなけらばならないと説く一方で、彼らに地上の報いか天上の幸福かに関わらずミルは彼らに報酬が与えられることは望ましくないと考えていた。

なぜか。特定の利害関係からの報酬が社会の利益にならないことを彼は見抜いていた。すなわち、国の将来を作っていくようなエリートはお金であろうが名誉であろうが、外的な報酬を動機としてはならないということだ。利権が国の発展を阻害している日本に深く突き刺さる言論ではないか。

では、そうしたエリートたちは何を動機に勉学に励めばいいのか。将来に名誉もお金も望んではないならない者たちは何をモチベーションにして日々厳しい勉学に励めばいいのだろうか。

J.S.ミルはそれに対し、こう答えた。

「利害を超えた報酬が彼らには与えられる。それはことのある結果ではなく、それを受けるに値するという事実そのものに内在しているものであるからです。」p134


それは何か。それこそ、冒頭で述べた次の言葉だ。

「諸君が人生に対してますます深く、ますます多種多様な興味を感ずるようになる」p134.


なぜそれが価値があるのか。J.S.ミルは続いてこう語っている。

「それは人生を十倍も価値あるものにし、しかも生涯を終えるまで持ち続けることのできる価値です。単に個人的な関心事とは年を経るにしたがって次第にその価値が減少していきますが、この価値は減少することがないばかりか、増大してやまないものであります。」p134


経済的な成功は充実した人生か?


一つ思考実験をしてみたい。寿命が1日しか残ってない状態の老人が2人いる。二人は健康そのものだが、寿命が尽きればぽっくり死んでしまうと仮定する。

一方は大金持ちで著名な実業家Aだ。彼は優秀だが自分の利益にならないことしか興味がない。実利に沿う知識はあるが教養があるタイプではない。ひたすら自らの得になることだけ考えて生きてきた人間だ。

もう一方はお金も名声もないが様々なことに興味を持ち、知識と教養溢れるBだ。彼は人間と社会について多くを考え、人々と対話してきた。全く売れてはいないが著作も数冊残した。

最後の日もAはせっせとお金を儲ける。何かを達成しなければならないという強迫観念にとらわれているのだ。目標を達成した時にAは最高の充実感を得ることができる。

一方、Bは最後の日も学び様々なことを考え人々と会話をする。彼は何かを達成することではなく、そうした日々そのものに充実感を覚えている。

さあ、人生も残り一日。どちらが価値ある1日を過ごせるだろうか?

もう一つ考えてみたい。生まれた時点で全ての人は十分な物質的な豊かさと人間的な名誉を有している(例えば爵位のような)とする。その世界で人は何のために生きるだろうか?

経済的な成功はもうすでに”達成”しているのだ。

J.S.ミルの言葉はこうした疑問に対する一つの答えを示しているように思う。人間はただ生きるために生きているのだろうか?

私はそうは思わない。人生に意味付けをし、彩を加え、その人をその人たらしめるために人は実利がないことを学ぶのだ。

それは、好奇心を育て、人生に起きるより多くのことをより深く楽しめるようになる。自分のことだけを考えるよりも自分以外のことを考えることができればそれだけ楽しみが増える。学んだ結果何かを達成することよりも学ぶことそれ自体が楽しみになるのだ。

エリート主義的な


こうした考えは、恵まれた人のみに許されたことだろうか?恐らくそうである。しかし、近いうちにそうした人が大多数になる。その時に世界が壊れることがないように我々は学び続けなければならないのだ。

以上


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