年を重ねても成長しなくてはならない。
自分ばかり見つめていると本当に成長は止まる。
これを痛感した。
なぜわかってくれないのか?
なぜこうしてくれないのか?
なぜ夢が叶わないのか?
これは全て自分ではなく、対象に変わってもらう事を前提とした願い、要求なのだと思う。
相手に変わってもらいたいと願って、自分が変わる事を拒否したら、そりゃあ願いは叶わない。
叶ったとしても、それはラッキーくらいのもの。
相手の能力が高かっただけで、自分の能力では何も変えていない。
それで人生を憂う事を遠慮したい。
私は話す事が嫌いだ。
苦手だからだ。
すごく一面的な視点でしか話せなくて、でも本当は色んな面がある事を知っていて、だけどそれを私は言葉で言い表すには困難な事だった。
秘密主義?
ごめん、話すのが苦手なだけなんだ。
勉強不足?
本を読め?
確かにそうなのかも知れない。
いや、そうなのだ。
私は、話す事が苦手だ=私は、言葉の勉強を拒否します
と言い換える事が出来そうだ。
眩暈がするほど困難な課題に向き合う事を拒否すると成長は止まる。
どうやら年を重ねると、その眩暈を脳が勝手に危険信号だと勘違いして成長を止めてしまうのかもしれない。
あと、築き上げられた功績や経験に執着してはいけない。それは、余計なプライドでノイズになる事が多い。
34歳だから経験値はある。34歳だから知っている。
本当だろうか?
状況や人間が違うのに、私と同じ体験をするわけがないのだ。
だから、自分の経験を押し付けてはいけない。あくまで可能性の提示に留めておかねば、相手の成長を止めてしまうのだ。
それに対して責任が取れるのか?
求められていないものを突き出すことは、かなりの露出狂だ。
経験は人生を楽にする。
これは間違いない。
あらゆる危険や障害、挑戦を乗り越えるのに経験があると成功の可能性はあがる。
それを繰り返すと、どんどん楽になる。
脳はどんどん楽になりたがる。
これがとても危ない。
物語のディティールを見逃しがちになる。
そうなると、経験を相手に露出してしまうのだ。
それは自分の成長にも相手の成長にも多大な悪影響を及ぼす。
経験を自分の財産にしながら、眩暈のするほど困難な課題に向かい合わなければ、多分モノを作る人になってはいけない。
私はモノを作る人であり続けたいから、成長し続けたいと思った。
そうでなくては、愛する人は守れない。愛は注げない。愛は受け取れないのだ。
以上
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