「ありがとう」を見つけること
お題をいただき、ありがとうございます。
すぐに思い浮かぶことだったので、投稿させていただきます。
自分で言うのはおこがましいですが、、、
私は日頃、「ありがとう」をよく使う方です。
自分に出来ないことを誰かがやってくれた時
自分が出来ることでも誰かがやってくれた時
ん?!なんか幼稚園児みたい?!
イヤイヤ、40代半ばです。
前者は、当然と言えば当然のことだろうと思う。
自分に出来ないことを相手がしてくれているのだから、感謝でしかない。
では、後者はどうだろう。。。
例えば、
テーブルの上の少し遠くにある物、、自分が少し動けば手に届く。それを近くにいる相手がサッと取って手渡してくれる。。
だったり、
仕事で先方に送りたい書類がたくさんあって、それをある程度まとめておいてくれる。。
など。
自分が動けば出来ることを誰かがやってくれている。
相手からすると、何気にやっていたり、仕事だから当然と思いながらしていることかもしれない。
でも私は、そこにあったかい気持ちになって、ありがとうを言う。
そこには、相手も気づいていない相手の気遣いがある。
当たり前はないから
かな。。です。
昔、誰かに言われたことがある。
「ありがとうって、自然に出てくるものじゃないの?」
確かに、そうかもしれない。
でも本当に自然に出てきてる?
そもそも、相手の優しさが見えているのか、、
見えてるなら、ちゃんと伝えてるのか、、
歳を重ねると、言いづらくなるものの代表か、、?!
「ありがとうは魔法の言葉」
どこかで聞いたことのあるフレーズ
周りの人は、その魔法の言葉を自然に声に出しているんだろうか?
最近はそれが不思議に思うことも、、たまにある。
相手の何気ない優しい言葉や行動。
それに触れて、あったかい気持ちになる。
そしてありがとうを言わせてくれる。
たまには目の前に、
ありがとうなんて1ミリも思えない御方も現れるだろう。
でも、そんな御方が一番、自分の見えていない優しさを持っていたりするので、侮れない。
私は目の前の人の何気ない優しい気持ちを見つけたい。
その感じた優しさに、ありがとうを伝えていきたい。
それが自分にとって大切なこと。
そして、それは、誰にでも見つけられる心の目があると信じてる。
綺麗事とかありがとうの安売りみたいに受け止められるかもしれない。。。
けど、、、んま、それでもいいや。
だって、その気持ちを意識していないと、なんだか自分が自分じゃなくなりそうだから。
でも、無理はしない。
本当に見えない時は目を閉じてしまうことも、備え置きにしておこう。
そしてそれより何より大切なこと。
自分の子どもたち。
幸い?!この子たちは、姉弟喧嘩をしていても、互いに何気の優しさにありがとうを言い合える子たちだ。
その素直な心を、大切にしていきたい
いつもこの子たちが、
そのままで、そこに居てくれること。
ちゃんと気持ちを伝えてくれることに感謝している。
~独り言~
いやぁぁ~
結局これって何言いたいか伝わってないよねぇ~たぶん。。。
文章もアッペコッペになってるし、句読点?!とか合ってるのかもわかんないし、、
ってか、この枠みたいのって、きっと こーやって使うもんじゃないよね...
読んでいただきすみません。
本当にありがとうございます☺️