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脳腫瘍って私がですか? 2

前回の続きになります

数回の検査の結果とうとう自分が脳腫瘍を発症している事を知る
これが今年の1月16日の出来事でした

丸山記念病院を出るとそのまま勤務先の訪問介護事業所に寄ってもらい
病名や病気の内容、今後の流れなどの説明をして最低でも2ヶ月くらい休みをいただく事になるといった話しをして帰宅しました

翌週の月曜日に早速紹介状を持って次男の運転で獨協医大病院へ行き受診します

やはり手術にはなるのだろう…か
などとあれこれ自分なりに心配しながら順番待ちをしている
受付からもうすぐ1時間くらいになるかなぁ…と思って時計を見ていると
やっと順番が来て診察室に入る事になる
同年代くらいの男性医師に紹介状と同封の資料映像をモニターに表示しながら
やはり脳腫瘍があり、大きさから手術が1番有効だと説明される
同時に水頭症の処置も行う事を告げられ
同席していた息子と私によく考えて決める様に話しをしてこの日の診察は終わり、細かい検査の日程が告げられる

息子と少し話はしたが選択の余地はないに等しい
このまま放置する訳にもいかないので
結果手術する事を決心する

次の受診時に手術を受ける方向で進めていただく事になり、その為の検査を受ける事となる
私が患っている脳腫瘍は正確には
『聴神経腫瘍』と言う名称で
右耳の神経の所に出来た腫瘍との事
少し前から確かに右耳の聞こえが悪く、耳鼻科に行った方が良いのかと迷っていたのだが
かかりつけの耳鼻科のある病院がコロナ感染したと聞き結局は行かなかったのである
思えばちゃんと耳鼻科を受診していたら…
などと色々と考えたり後悔したりするけれど
この腫瘍は幸いな事に良性腫瘍で転移する事はないそうである
進行もゆっくりとしているらしい
なので結論は聴力が落ちたあたりで受診して見つかってもあまり結果は変わらなかったかもしれない

などとあれこれ自分を納得させながら検査の為片道自宅から1時間程かけて通う事になった
私を病院に連れて行く息子達はさらに自宅から私の家までの時間が費やされ、休みもやりくりしてくれているのだから本当に感謝しかない
だから尚更ネガティブな言葉は出さない様に過ごそうと思った

検査を始めると同時に医師の手術の予定表から私の手術日はひと月近く先になる事が決まった

その日は誕生日の3日後だった
内心今年は誕生日どころじゃなくなるなぁ
なんてただぼんやりとそう思った

手術までの3週間ちょっとの間
それまで毎日一日中仕事に出ていたのが自宅に居る事になり、車や自転車の運転はしない様にと制限されている為
正直どう過ごしたら良いのか少し戸惑った
家にいる事が増えるのだから今まで日常忙しい事を理由に家の片付けを放置していたので
仕方なく片付けをする事になった

ほんの少し頭の片隅によぎったのは
万が一元の生活に戻れなかった時には人の手を煩わせて処分しなければならない様な事になる場合は困るだろうという事
それらが片付けの苦手な重い腰を上げる起動力となった

手術の日が近付き、生命保険やら健康保険やら身近な親族やら隣近所へ連絡を入れたり調べたりして
それなりに時間が過ぎていった
ひとつだけ良かったと思った事は
病気がわかる1年前に愛犬が亡くなり、さらに病気発見の2か月前に息子が猫を連れて引っ越した為に
いざしばらく家を空けるのも、病気治療で自分の体以外に構っていられなくなるのも
全くの独り暮らしの為に心配がないという事である

考え方かもしれないけど
こんなちょっとした事が巡り合わせかなぁと思ってしまう
無理をし過ぎない様にとか…
どうにもならないのではないか?と思うほど困らないと言うか…
これは私の最終的に楽観視する性格故の見方なのかもしれない
泣いて腐っても前に進まないから…ね


以上、病名説明から手術までの流れでした
読んでいただきありがとうございました😊

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