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サンプリングがもたらした日常への注目と反抗の精神

"Arrow Root"の原曲発掘を受けて

アーティストが他者と共感する装置としてのサンプリングには以前触れたばかりだが、一方で音源の正体が一切不明であるにも関わらず、リスナーを魅了する作用についても触れずにはいられない。

むしろ、サンプリングの元ネタというのは版権の都合上もあり、本来は誰にもわからない方が良いとされる風潮もある。

時にはレーベルはおろか、ラッパーすらも原曲が何かを知らず、ビートメイカーだけが知っているというケースも散見される。

かつてのDJは、レコードをかける前にはヴァイナルのラベルを削り取り、他人からはその楽曲が誰のものかをわからないようにしていたという。

一見自己中心的な振る舞いでもあるが、この崇高な神秘性こそがヒップホップを芸術へと昇華させてきたエナジーとなっていたことは間違いないだろう。

先日、DJ BoothにてMF DOOMの名曲、“Arrow Root”の原曲が発掘され、その軌跡に迫る記事が公開されていた。

発掘のためのFacebookグループには多くの人が集まり、協力してくれたことや、祖父の死を乗り越えながら、何人もの関係者による厚意を受けられたことなど、“Arrow Root”のルーツに至るまでの道程が、ドラマティックに紹介されている記事となっている。

率先して発掘に至った青年、Roelにとって、おそらく “Arrow Root”とその原曲の存在は、MF DOOM本人をも超える感慨を持って接するべき、特別なものとなっただろう。その心情についてもインタビューの中で語られている。

そしてこの物語の中で注目したいのは、あれだけ多くの人に感動を与えたインストゥルメンタルの原曲が、TV番組のオープニングで流れていた、とあるフレーズであったという展開だ。

それはアメリカの音楽専門チャンネル、BETのジャズ部門(BET On Jazz)で放送されていた番組のイントロで、曲が流れていたのは1分にも満たない。

この曲は、James Zimmermanという人物がImpressionsという番組において、一度ホストを務めた際に流れたものなのだという。

多くの人が聞き過ごしたであろう些細な一曲を、MF DOOMは何気なしに “Arrow Root”という作品の中で、リスナーとつなぎとめたのだ。

これは、先日僕が文字に起こしたゲーム音楽のサンプリングの話とは、まるで対照的なアプローチであると言える。

ゲーム音楽のサンプリングは、繰り返し流れるBGMが刷り込まれたからこそ多くの人の耳に残り、アーティストとリスナーに接点を与える役割を果たしていた。

しかしMF DOOMの “Arrow Root”は、楽曲そのものの魅力によってリスナーを惹きつけ、過去の忘れ去られたアーカイブへと導いたのだ。

前者は楽曲を通じてアーティストとリスナーが感覚をシェアした一方、後者はアーティストがリスナーを先人の音楽へ誘ったと言える現象である。

サンプリングと反抗の精神

ここでもう一つ注目したいのが、この些細な日常の音楽をサンプリングした “Arrow Root”という楽曲は、サンプリングを用いた反抗の音楽であると考えられる点である。

Black Lives Matterの運動は、日常的な黒人への暴力や、差別的な言動の是正を訴える活動であるが、看過されてきた日常への注目を促すという意味では、サンプリングも同様である。

“Arrow Root”はBET on Jazzというチャンネル(現在はBET J)に、かつてImpressionsという番組があり、そこで流れたオープニングのイントロが美しいものであったことを記録した作品である。

見過ごされがちな日常の音楽を、サンプリングによって再定義することで、こんなにも良い曲が身の回りに溢れ、粗末に忘却されていることを(おそらく図らずも)訴えたのだ。

黒人の命の大切さを訴えるBLM運動もまた、日々粗末に扱われる黒人の命や文化への注目を求める活動に他ならない。

“Arrow Root”がもたらしたサンプリングの神秘は、黒人向けTV番組のBGMの美しさに目を向けさせ、黒人への注目を招くことに成功したのである。

意図しない「静かな抵抗」の可能性

ヒップホップ音楽は、必ずしも常に直接的な抵抗を訴える楽曲であるとは限らない。

しかし、日常的に非差別的な環境の中で暮らすことを強いられてきたアメリカの黒人が生み出す文化には、図らずも反抗的な側面が、随所に表出されることは十分に考え得る現象だ。

MF DOOMの “Arrow Root”は、その意図しない反抗の精神が現れた、良い一例だと考えられる。

MF DOOM本人にとっては些細な日常の切り取りであったのかもしれないが、十数年に渡りリスナーを悩ませた神秘性は、黒人文化へのさらなる注目を煽る彼なりのプロテストの役割を担った。

このように、サンプリングの機能を豊かに解釈していくことで、ヒップホップ音楽の楽しみ方は、より多面的なものへとなっていくのではないだろうか。

少なくとも僕にとっては、新しい音楽の楽しみ方が広がった次第である。

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