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『バイオハザード』が描いてきた「日常」を奪う者たち

振り返ってみると、バイオハザードにはかなり反体制的な描写の多い作品だったように思う。

企業活動の犠牲者として、罪のない民間人が犠牲になっているだけでなく、企業と結託して日常を破壊していく為政者の姿も印象的である。

そのことが如実に描かれている作品として、印象的だったのが『バイオハザード4』だ。

閉鎖的な寒村が訪問者に向ける牙の恐ろしさだけでなく、古城の領主との対決など、保守的な価値観との戦いが顕著に現れていた。しかし、そこにも「アンブレラ」という企業との結託が陰に潜んでいる。

「7」もテーマとしてはスケールダウンしているが、似たような構図が存在し、より現代的な問題を内包する。

穏やかな生活を送っていたベイカー家は企業活動の犠牲となり、彼らの人格は破綻し、企業の手先として操られる一生を送るのだ。

企業が彼らのもとに訪れなければ、いつまでも平和な家庭を築けたはずなのに、である。

現実世界でも酒乱や虐待で崩壊している家庭は無数に存在する。その原因を辿ってみると、仕事がうまくいかない、借金から逃れられない、仕事に追われ、家に帰る時間がないなど、企業活動に起因する呪縛に苦しむ人たちが多くを占めているのだ。

「昔はいい人だったのに」とはありふれた文句だが、「7」で描かれる家庭の崩壊は、決して絵空事ではないのである。

このように、『バイハザード』シリーズはサバイバルホラーのジャンルで一世を風靡してきたが、実はかなり重いテーマを孕んできたゲーム作品とも言える。

いずれの作品においても、開発者が「まぁそんな難しい話は置いといて」と言わんばかりに、終盤ではもはやテンプレと化したSFアクションへと収斂していくのだが、それは制作側の気恥ずかしさが見え隠れする瞬間にも感じられる。

「8」もそういう、社会性のあるテーマを扱うんだろうか。

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