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「戦場」は巨大化したのか?「BF2042」のトレーラーが提示した『Battlefield』の現在地

今思えば、『Battlefield』とは大きく出たタイトルである。あまりに抽象的なネーミングではあったものの、初作『バトルフィールド1942』がゲーマーに与えた衝撃は大きく、「これが戦場だ」と言わんばかりのネームバリューを獲得するに至った。

ここ数年、ビデオゲームにおける戦場の多様化が進む一方、本家の「戦場」は存在感を薄めるばかりで、タイトルに見合うだけの価値を提示できずにいる。

そして2021年6月、満を辞して発表された『Battlefield 2042』のトレーラーからは、開発チームによる一つのメッセージが見受けられた。それは「我々はウソの戦場を描ききるぞ」という、開き直りとも言える覚悟である。

大規模歩兵戦闘のジレンマ

『Battlefield 2042』のファーストトレーラーでは、写実性のある美麗なグラフィックに思わず圧倒されるが、そこで描かれていた光景はひたすらにフィクションだ。

今作では64対64という、大スケールの128人対戦を実現したとしているが、現実世界でこのような景色をお目にかかることはほぼないし、今後は一層その機会も失われるだろう。

機械化が進み、少子高齢化によって主要国の人口は減少の一途を辿る中、道徳上の問題や育成コストの面から、生身の人間を戦場へ送り込むリスクは増加するばかりだ。

そんな情勢をまるで無視するかの如く、『BF2142』ではまるで中世世界のように、人間がみちみちと戦場を闊歩する。

その様子はもはや滑稽とさえ思え、次世代技術を惜しみなく使ったフルスペックコメディである。

そもそもかねてよりBFシリーズが挑んできたのは、多くの歩兵が入り乱れる大人数対戦である。128人対戦の悲願は『BF3』でも実現は可能だったようだが、ゲーム設計上無理があるとして、その規模を半分に抑えることでまとまった。

『BF2042』ではついにその悲願が達成されることとなったが、大人数の歩兵戦の実現は同時に、リアリティとの乖離を生むジレンマを孕むのだ。

『Battlefield』を再定義する『BF2042』

ファーストトレーラーでは、バギーでヘリコプターに突っ込んで撃墜したり、戦闘機から飛び降りつつ敵機を撃墜するなどのアクションが見られたが、これらはご存知の通り、『BF4』時代に一世を風靡した好プレイの数々である。

従来のBFシリーズは、例えゲームプレイの内容こそ好き勝手なものになったとしても、トレーラーはシネマティックな戦いを意識した映像作りにこだわっていた。

それが『BF2042』では、現実ではもちろん、映像表現としてもあり得ない、とあるゲームプレイヤーの好プレーをトレーラーでやってのけてしまっている。

まるで「我々はゲームですよ」とアピールするかのようなメタ演出は、スピンオフコメディシリーズの「バッドカンパニー」にも見られなかった表現である。

このような露骨なアピールは、今作において改めて『Battlefield』というブランドを新たに固めなければならない、という危惧が背景にあるのではないだろうか。

ミリタリーを扱ったゲーム作品は、今や『Battlefield』シリーズ以外も充実のラインナップである。リアル志向の作品だけを挙げても『Escape From Tarkov』や『ARMA』、『Insurgency』など、現役作品を並べるだけでもお腹いっぱいのラインナップである。

これにeスポーツ志向の『CoD』や『Raibow SIx:Siege』などが加わるのだから、もはやプレイヤーはミリタリー作品に困らない状況なのだ。

このような状況を受けて、『Battlefield』は抽象的な「戦場」を提示するだけの作品ではもはや生存不可能になっている。『BF2042』を持って、彼らは改めて「Battlefieldらしさ」を再定義しなければならない時期に差し掛かったのだ。

今回の奇抜なファーストトレーラーによって、「Battlefieldに求められているのは間違いなくこういう世界だよね」と再確認を求めたのである。

開発チームとプレイヤーが相思相愛の関係性を保つためには、リアル志向をを諦め、「BFらしさ」を全面に展開するほかなかったのだ。

アイデンティティの危機に差し掛かった『Battlefield』の、新たな一手が垣間見えた瞬間である。

それでも「戦場」を描く理由

ファーストトレーラーでは描かれていないものの、もう一つ気になっているのは、2021年に大規模戦争を描く作品として、どんな戦いの意義を提示できるか、という点である。

『BF2042』ではキャンペーンは排除されたということだが、それでも今作に一層の深みを持たせるため、ある程度の物語性は重要だ。

幸いなことに、トレーラー公開と同時に明かされた国家を持たないものたち=ノーパットの存在が明かされたのは大きな手がかりとなる。

「BF」シリーズのように大規模戦闘を描く場合、敵と味方、そして自分が何者なのか、というシナリオが持つ意味は大きい。戦場に没入感をもたらすだけでなく、「これだけ多くの人が戦っていてるのに何の目的もないのか」という空虚さを穴埋めするためだ。

プレイヤーはノーパットの一人となり、信じる陣営に集って戦うという設定は都合が良いかもしれないが、この点においては妙なリアリティも感じられる。

グローバル化が進む現代において、国家の枠組みは形骸化し、命を賭して守るものでは無くなりつつある。国の価値が著しく低下した現代人にとって、自分の家族や自分のイデオロギー、そして自分自身を守るために戦う『BF2042』のノーパットたちには、妙な親近感を覚えるものだ。

敵・味方の陣営が曖昧になる中、『BF2042』では自然環境という第三の敵も登場する。トレーラーの終盤では敵味方が関係なく大きな竜巻に飲み込まれるシーンが印象的だったが、ここには今作が提示する厭戦的な皮肉も感じ取れる。世界が崩壊し、人々の基本的な社会生活すら危ぶまれる中、それでも争いを続ける人間の愚かさに鉄槌を下すようなシーンである。

『BF2042』では、『BFV』では見られなかった、徹底した史実との乖離と、とても到来するとは思えない「If」の近未来を描こうとしている様子が見受けられる。

しかし明らかなフィクションでプレイヤーに現実を忘れさせる、あるいは現実の問題を軽んじさせるわけではなく、むしろ実世界における諍いや、世界中にはびこる多様性への軽視に対して、暗喩的に警鐘を鳴らす作品となる気配を漂わせている。

おわりに

マップが巨大化し、128人という大人数での戦闘を実現した『BF2042』だが、近年のミリタリーゲームの発展で、『Battlefield』の居場所は縮小の一途を辿っている。

そんな中で「BF」シリーズが見出した一筋の光明は、あえて前時代的な歩兵戦闘を惜しみなく展開し、「戦場」をコミカルに描くことで、「争いとは何か」を考えさせることだったのではないだろうか。



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