2022年5月21日(土)

    ごく最近、こうちゃんの爪がとても綺麗なことに気が付いた。私にあるような縦線が無く、つやつやしている。いつか、コンクリを素手で扱っているのを見て仰天したことがあるのに。クリームパンのような手に美しい爪。
    私は爪を大切にしてこなかった。長い間、ピアノと共に生活していたため、少しでも伸びたら切り詰めていた。訳あってピアノを手離し、生まれて初めて爪を伸ばした。そういえば小さい頃は噛み癖があって、そもそも伸びなかったのだ。
     少しでも伸びたら気持ち悪いとか、指先の肉が厚いからヤスリで削れる訳がないとか、そういうものは全て「私はピアノを弾く」という自負から来ていたと思わざるを得なかった。伸びた爪がもたらす指先には、大袈裟にいうと充実感があった。
    私は元の名を「奴田原(ぬたはら)」という。高知にだけはシャチハタが売っているらしい。「ぬた」という料理があるように、沼地の意味だと思う。足を取られもし、けれども豊かな養分を含む土地。長い長い間、私は爪を切り詰めた指先で、自分の世界を自分なりに追求していた。「井の中の蛙」だけれど、空の青さは知っていたつもりだ。
    けれども私は51歳で結婚した。父の会社が傾き、猫の手を承知でも入社しなければ、こうちゃんに会うことはなかった。私は「広瀬」という名になった。免許を返納した父の代わりに、やはり50代で免許を取ったが、苦労を重ねながらもバイパスの右車線も難なく走れるようになった。社会という広い流れを、初めて肌で感じているのかも知れない。
    爪を伸ばすと、指先のピンクの部分が増えていくのに気が付いた。私は本来あるものを潰して、自分の世界を体現していたのだろうか。
   それでも、車でスーパーをはしごしながら思い出す。早朝の空気の中、ランニングに行く。何処からでも歩いて帰る。いつでも数曲暗譜している。そういうことが、私が見ていた空の青さ。あの頃は、明日で世界が終わろうとも、今日と同じ日を送るだろうと思っていた。でも今は違う。
    こうちゃんはクリームパンのような手で、私という沼から私を救い出してくれた。とりあえず、まだ揃わない爪を育てていこう。

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