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『Humankind』書評③大勢の偽悪者の中で善良な人間観を持つこと


5:悪目立ちする性悪説はカネと地位をもたらす

 本書には、この2回に渡って書いてきたような歴史がベースにあり、利己的な人間観がいかにして広まったのかが説得力を持って語られる。

 そして、それがリアリズムとして拡散した理由は、権力者のごう慢さだけによるものではないことも指摘されている。

 イースター島の先住民はヨーロッパの侵略者たちによる強制労働や彼らが持ち込んだ感染症で激減することになった。だが後の研究者は島民の間で壮絶な争いが起こったことで絶滅しかけたという話を捏造した。

 1960年代のニューヨークで暴漢に殺害されたキティの事件では、その背後に目撃者の通報を無視した警官がいた。だがマスコミは彼女の叫び声を聞きながら無視した近所のアパートの住民たちの非情さを取り上げた。

なぜ、こういうことが起きるのか。
悪目立ちをしたいからだ。
悪いことの方がインパクトがあり伝播力は高まる。
利己的な人間観は悪目立ちし、資本主義の世の中では
それがお金や地位に化けるのだ。

 イースター島の話では強制労働よりも壮絶な戦争の方が人目を引く。キティに関しては警官の怠慢より大勢の無関心の方が人目を引く。

 キティ殺害は「傍観者効果」という名の性悪説を世に定着させ、それを提唱した学者たちは学会の権威となった。ブレグマンは傍観者効果が非常に限定的な条件でしか起こらないことを実例つきで説明している。

注目とカネを生み出すノセボ効果

 また本書では、TVのリアリティー番組や心理学の実験で、わざとケンカさせるような演出があったことも数多く指摘されている。日々のニュースもまた悪い出来事ばかりを取り上げて視聴率を稼ぐ。

 こうして資本主義の元では、世の中が悪者だらけだという負の洗脳・ノセボ効果がありとあらゆる形で行われている。

 そのため多くの人がそれを現実だと思い込み、世の中がリアルに荒んでゆくことになる。しかし真実は単に悪目立ちすれば金になり地位となるからだ。権力者のごう慢だけではなく、ここにも性善説が虐げられてきた大きな要因があるのだ。

6:私たちは天使ではないが、悪魔でもない

 本書には希望に満ちた心温まる実話も数多く取り上げられている。

 第一次大戦中のクリスマス休戦やFARCへの寛容政策やトレスの市民参加型自治。これらのサクセスストーリーは、人間が善良であるという大前提から始まっている。

 コロンビアのゲリラ・FARCと政府の和平交渉では、悪人への非相補的な行動がキーになった。悪人の悪事に敬意を持って人間的に対処することで、相手の生来の善意を引き出すというやり方だ。

 ベネズエラのトレスで行われた市長による市民への権限譲渡もまた同様。市民が予算を決めるようになっても誰もが私利私欲に走ったりはしなかった。むしろ市民全体の利益になるよう予算が組まれ腐敗がなくなった。

本書によって私が得た最大の学びは
自分が善人であることを恥じず
人間が生まれつき善良であるという考え方を
堂々と持つことの大切さであった。

 一方で、ブレグマンは人が天使ではないとも説く。もちろん私も天使ではない。自分の生来の悪と向き合って打ちのめされたことだってある。

 だが、この世にはあまりに利己的な人間観がはびこっていて、宗教の多くも生来の人間が悪魔だとみなしている。
 そんな中で善良な人間観を固く持つことには、大きな意味がある。世界が転落しないための良い抑止力になるのだ。

7:善良な人間観を”本質的に”持つこと

 ブレグマンは指摘していないが、私がこの名著からつかみ取ったもう1つの最も大切な学びがある。

それは人が善良であるという考えを
本質的な意味合いで持つという事だ。
具体的に持ってしまえば
たちまちあなたは悪人たちに都合よく
利用されることになるだろう。

 と言うのも、世の中は表面的に悪人を装う偽悪者に満ちているからだ。それは車で道路に出て見ればすぐに分かることだ。多くの人は特に急いでもいないのに、われ先にと利己的なドライビングを続けている。

 彼らはノセボ効果の犠牲者である。権力者や金持ちなどのソシオパスによって、この世には利己的な人間観がはびこっている。なので多くの人は別にワガママではないのに、そのように振舞う強迫観念に蝕まれている。

 その上、利己的人間観はリアリズムに基づく真理とみなされ、あらゆるフィールドで科学的な合理主義とも結びついている。

 つまり、人間は私利私欲に走る生き物だという考えを持つことが成熟した大人であることや賢明な知識人であることの証になっているということだ。

 そんなバカげた時代は早く終わらせねばならない。利己的人間観を持つことが精神的な成熟や知性の証明になるような世の中は狂っている。善行の多くが偽善だと冷笑される世の中も同様に狂っているのだ。

善良さのプラシーボ効果

 悪人のフリをしているだけとはいえ、現実的にこの世には多くの悪人がはびこっている。そんな偽悪者だらけの世の中で、どのように善良な人間観を持っていればいいのだろう。

 ここも私の個人的な意見になるが、それは善良な人間観によって偽悪者から生来の善良さを引き出すようにすればいいのだ。

 つまり本書にもある悪人への非相補的な行動がポイントになる

 人間は生まれつき善良であるという考え方は、どんな人にも敬意を与えるため、相手の良き人間性を引き出すことができる。たとえ悪人がいても一方的に悪人だと決めつけて罰してはいけない。

 悪人に対し、本当は良い人なのに何らかの事情でゆがんでしまったんだと思えばその人への見方は一気に変わり、ひいては世界も変わる。これは言うは易し行うは難しの理想論でもある。

 だが、そんな善良な人間観が合理主義やリアリズムと結びつき、良きプラシーボ効果としてこの世に広まれば世界は変わる。利己的な人間観こそが幻想の性悪説として貶められるべき時が来るべきだ。

 一体、この大転換がどれほどこれからの未来を照らす希望になるだろう。ブレグマンは人類の災いの源になった文明の元でも、未来はあると信じている。ここで最後に私も彼の号令をマネしたい。

 さぁ、新しい現実主義を始めよう‼

全3回おわり■


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