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不幸のレッテルを貼ったっていいんだ【9月28日の気づいたこと】

さて、怒涛の日々が続き、noteの更新が滞っている今日この頃、皆様はいかがお過ごしでしょうか。怒涛の日々、怒涛の日々と言っていますが、何のことか、というと新生活が始まっているんですね。9月は出会いと別れの月。10月からの新しいクールに備えていきます。余談ですが、財布とか買い替えたい、そんな気分なんです。それではさっそくいってみよー!

平和な世界はあるんだ

高校の友達と電話をしていて、本当に癒されました。彼女の世界には世俗的な穢れた出来事は起こらない。それは彼女が本当に純粋だからです。この間は、オーブントースターを購入したいが、どのオーブンを買うか迷っている、という話が本当に平和でおかしかった。そういうのに触れると嬉しくてちょっと泣きそうになりますね。SNSばっか見てると、世界ってこんな感じなのかなって思うけど、たった数時間話しただけでこんなに癒される世界もあるんだって。それは同じ時空に存在しているけど、じゃあどっちを選んで生きていくんだい?っていう。そして、そういう世界があることを忘れないでいたいと思うのです。

不幸のレッテルを貼ったっていい

とある方のエッセイを読んでいるところです。その人は父が亡くなり、母が忙しくしていて寂しかった経験から、女性関係にだらしなくなってしまったことを語っています。それを素直に「母の寂しさを埋めていたんだと思う」と語っていました。私は、過去のことについて、「こういうことがあったから今こうなんだ」とレッテルを貼ってしまうことが否定されるような気がしていました。「いじめられていたから、コミュニケーションが得意じゃない」みたいな。だって仮にいじめに遭ったって立ち向かっていける人はいるじゃないですか。だから、「立ち向かえない自分が悪い」って思っていたんです。でも素直にそうだと思うこと、またそれを吐き出したとしても周りには否定されないんだって(それはあなたの心の弱さだと)。だから素直に不幸ぶってないで吐き出してみるのもいいかなと思いました。

「怒り」は自分が悪くないこともある

この間、親のことが引き金となって店員さんにイライラして強く当たってしまった。親のこととなるとどうもダメで、そんな態度をとってしまったことを反省した。しかし後日、同じ対応を別の店員さんにしてもらったところ、その店員さんは非常に穏やかでそんな事態には至らなかった。この時、イライラすることは必ずしも自分が悪いわけではないのだと気づいたのである。同じことを聞いても相手の対応は違う。相手が冷静ならこちらも冷静になる。そんな風に、必ずしも感情の引き金は自分だけでないこともあるんだなって思って、ちょっと楽になりました。

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