見出し画像

思い出は目的地ではなく道中に

2020年を境に、コロナ禍で安易に旅行ができなくなり、仕事で忙しい部署に異動となり、ストレスが溜まるばかり。前に行ったタイが懐かしい。

タイから帰ってきた時はこれからもいろんなところに行こうと思い次の旅に期待していたが、今は過去の旅の思い出があるからなんとか生活できているような状況。

時々遠くを見る。
その思い出を忘れないように書いておこうと思いました。

が、書くのに時間がかかってしまった。書き終えた今となっては旅が戻りつつある。

2019年12月31日、関西国際空港に到着。
これから日本を発ちタイへ行く。
初めて海外で年を越す。ただそれだけで嬉しい気持ちになっていた。

旅はいつも非日常。いつか旅が日常になることに憧れている。

冬の装いで空港へ。
関空の駐車場は年末年始に予約が殺到するらしく、事前にHPで予約開始時刻が設定されていた。

日本は寒いがタイは暑い。冬の格好で空港まで行くがタイでは夏の格好で歩く。冬の服装はタイでは不要。少しでも荷物を減らすために、車内で夏服に着替えて厚手のコートやズボンは車に置いていこうと考えていた。
だから、できるだけ駐車場から空港までは近いに越したことはない。駐車場から空港まで夏服で寒い思いをしたくない。予約開始時刻が設定されるくらい人気なのだから、予約が取れないと少し離れた駐車場を利用せざるを得なくなるだろう。

いつだっただろうか。好きなアーティストのライブチケットを取るために、パソコンの画面を睨み、予約開始時刻と同時のクリックに緊張したのは。その緊張感を思い出す。

結果、私はパソコンとスマホと時報を駆使し、空港に隣接した駐車場を予約できた。年末年始を跨いで予約したわけだが、当然私のような予約をする人が多く、予約後すぐにもう一度予約画面を開くと全て埋まっていた。
この時、勝ったと思った。

しかし、いざ空港に着いてみると隣接していない駐車場でもそんなに離れてはいない。予約できてなくても大して変わらなかった。
車の中で着替えながら、駐車場の予約が取れただけで歓喜に沸いた自分が恥ずかしいと思ったが、まぁそれにしても順調なスタート。

駐車場から空港内へ行くのに、十数秒歩いた通路は横風が寒すぎたが、その瞬間、旅への高揚感が寒いという感情を上回る。

ふと思った。旅慣れた人たちは気候が違う国へ行くときの服装や荷物はどうしているのだろう。スマホで調べれば何かしら出てきそうだが、面倒だと思い調べずに先へ進む。
これだけではない。生活をしているとニュースや街中で知らない言葉がよく出てくる。常に調べられるスマホを手にしていながら調べることをしない。
何か身に危険でも起こらない限り積極的に調べようとしない。

つくづく思う。自分は怠惰だなぁと。
しかし、知らないままの方が心地良いこともある。

飛行機のフライト時間は約6時間であり、私にとっては経験したことがない長時間フライトのため、暇潰しに文庫本を買って持ち込むことにした。

選んだ本は「i」西 加奈子 著。
(以下のURLは読んだ感想とその時の状況を書いた記事。)



無事到着。
タイ語で書かれた看板や行き交う人の顔が見慣れている日本人とは違うことを見て、着いた実感が徐々に湧いてくる。
空港を出ると、むっとした暑さが身体中に押し寄せてきた。年末なのに暑い。日本は寒い季節だがタイは暑いという当然のことに驚きつつ、予約したホテルへ行くためのバスを探した。

乗った路線バスでは女性が挨拶をしながら料金の受け取りや乗客の案内役をしていた。私には10代に見えたが、年齢以上にとても慣れてしっかり働いている様子に驚いた。
自分の10代の頃と比べると社会経験値が違い過ぎる。路線バスが停まり、客が乗ったり降りたりする度に「サワディカー」「コップンカー」と優しく声を掛ける。
不安定な路線バスの車内でずっと立って働いているにもかかわらず、笑顔を絶やさない。

不安定な路線バスとリズミカルなサワディカー

ホテルに到着し荷物を置きバンコクを散策する。

日本の田舎に住んでいる私にとってバンコクは都会に映った。数々のネオン。大型ショッピングモール前のライブイベント。人の多さ。大晦日だったことも影響していると思う。
途中、ライブ会場の前を通ると様々な色に光る棒を有無を言わさず渡された。是非ライブを見てくださいということなのだろう。

ライブ会場は通り過ぎ、初めの目的地に選んだターオ・マハー・プラマ(エラワンの祠)へ向かう。定番な観光地だと思う。「地球の歩き方」でも大きく紹介されている。街の雰囲気を味わいながら気軽に行けることもあって目的地に選んでいた。

多くのビルが建ち並び、広い道路が整備された一角にその祠はあった。絶え間ない参拝者。近くの道路は歩行者天国になっていて、バットマンが見守っていた。

思えば、バットマンは事件がないところにわざわざ姿を見せることはない気がする。それも人が多いところに。目立ちたいのかバットマン。


気になったものは写真に撮る…とここでさっき貰った光る棒がとても邪魔になってきた。歩いている時は片手に持つだけでいいが、写真を撮る時は脇に挟まなければならなかった。ポケットに収まらない太さで鞄に入らない長さ。
ゴミ箱を探したがすぐに見つからず、この日は結局ホテルに帰るまで持っていた。
そんなどうでもいいことを覚えている。

この日の夜は、有名なケーン・マッサマンを食べると決めていた。その店までは歩くには少し遠いため、トゥクトゥクに乗りたいと思い、近くにいたトゥクトゥクの運転手に声を掛けた。
「地球の歩き方」にある料金の目安を参考に「100Bなら少し高いが仕方がないだろう」と心に決め80Bから交渉してみた。

すると、30代に見えるトゥクトゥクの運転手は大きく手を挙げながら声を荒げ、何と言っているのか分からないが明らかに交渉破棄の素振り。「こんな金額あり得ない!」という顔をした。
運転手からの値段提示も無く、呆気なく初めての交渉は終了し、別のトゥクトゥクを探すことに。

安過ぎ?自分が思うより遠いのだろうか?
いや舐められただけだ。と思い悔しさが込み上げる。日本で値段交渉など家電量販店でエアコンを買った時ぐらいしかしたことがないのに、舐められてはいけないと妙なやる気が沸き起こった。

辺りを見回していると、少し歳を召したおじさんがトゥクトゥクに乗って向こうから近づいてきた。
自分は少しこの場で浮いているんだろうなと思い警戒しつつ、値段交渉開始。
同じく80Bを提示すると、おじさんは苦笑い。少し間を置き、おじさんから100Bの提示があった。
「100Bなら」と心に決めていたはずなのに渋々な顔でOKをした。何様だ自分は。
タイでの初めての交渉はこうして終わった。

トゥクトゥクに乗った直後、先程交渉破棄されたトゥクトゥクの近くを通り過ぎた。トゥクトゥクを見比べるとおじさんのは全く飾り気が無く地味で、30代男のはネオン等の派手な装飾が施されたトゥクトゥクだった。
それも価格に影響するのだろうか?
派手なトゥクトゥクはテンションが上がるようなBGMでも流してくれたのだろうか?

そして目的のケーン・マッサマンは確かに美味しかったのだが、ケーン・マッサマンを思い出そうとすると、この交渉の思い出がもれなく付いてくる。


この日は12月31日。
タイの年越しはどんなものなのか見てみたい気持ちもあったが、旅の序盤から欲張りすぎるのは良くない。
明日は朝早くからアユタヤを目指すため、予定通り早めにホテルで寝ることに。

しかし、年越しの瞬間はやはり起きていたいもの。

海外で年を越すことを楽しみにしていたのに、結局していることは日本での年越しと変わらず、テレビを見ながら年越し。
しかし番組は違う。笑ってはいけないわけではない。
テレビの画面には大勢の人が国王を前に広場に集まっているのが映っていた。厳かな年越しのようである。そして新年になると、ホテルの窓から街中で上がる花火が見えた。隣の建物など全く気にしないかのように、様々な場所から上がりまくっていた。派手な年明けだった。

1月1日

ホテルからタクシーを使いフアランポーン駅へ。アユタヤへと向かう。

アユタヤ行き

着いてすぐはまだ自分の知るアユタヤの風景は出てこない。
どう進もうかと歩きながら考えていると、自転車のレンタルサービスをしている人がいた。金額の相場が分からない。ボッタクリではないか?行き先で自転車停められるか?など考えた挙句、歩くことに。

目的地へ向かう途中、車や自転車が通る広い通りと屋台が立ち並ぶ狭い通りがあった。歩かないと見えない景色があるはずと思い、屋台が立ち並ぶ通りを選んだ。

見慣れないものが並んでいて気持ちが高ぶる。
こういう時に旅をしている実感が湧く。

まずはワット・プラ・マハータートを目指して歩いた。木の根で覆われた仏頭があることで有名なところ。
アユタヤはビルマ軍の侵攻により多くの仏像が破壊された歴史があり、仏頭がない仏像が多い。それを見て丸山ゴンザレス氏著の「アジア罰当たり旅行」を思い出した。その本ではアンコールワットでの出来事だったと思うが、アユタヤでも同じように「仏像に顔をのせてはいけません」と注意書きがされている。
当然のことだが、敬意を持って参拝しようと思った。


見慣れない景色が続く中をひたすら歩き続ける。


色々回りながら次にワット・ロカヤスタを目指すことに。
大きな涅槃仏があるところ。(ワット・ポーの涅槃仏よりは小さい)
地図アプリで俯瞰してだいたいの場所を把握しながら進む。「経路」ボタンを押せば最適のルートを示してくれるが、そのルートを気にしながら歩くのは煩わしく、少し遠回りでもいいから気分で道を選びたい。
アプリが示す「最適」は自分の気分には「最適」でないことがあるので、気の向くままに歩いた。

ワット・ロカヤスタの手前に細い川があり、川の中央付近の向こう側へ向かって進めば辿り着きそうなことが分かった。
「そろそろ中央付近だろう」と思いここらで向こう側に渡りたいと思ったとき、橋がないことに気づく。ここでさっき通り過ぎた橋を渡っていなければならなかったことを知り、どっと疲れが出てきた。「気の向くまま」も疲れていては歩く気になれない。暑さも効いている。しかし、トゥクトゥクもタクシーも捕まりそうになく、やっぱり歩くしかない。
いや、歩かないと景色もお金ももったいない。
飛び越えられる川幅でもないため、仕方なく先へ進む。戻るよりも先に橋が出てきてくれることを少し期待したが、結局来た道と同じくらい歩き、やっと向こう側へ渡ることができた。

(今アプリで調べると橋から川の中央付近までは徒歩6分くらいだった。たった6分?この時の自分には20分ぐらいに感じられた。)

橋を渡ったはいいが、また中央付近まで歩かなければならない。さすがに休もう。
すると見慣れた店が。セブン・イレブンだ。
店内で涼み、紙パックのフルーツジュースを買う。ネットの誰かのブログで紹介されていたジュースを選んだのだが、これが美味しかった。普段飲んでもなんとも思わない味かもしれないが、疲れた体によく沁みる味だった。(結局今回の旅でセブンに寄る度に買い、4日間で5本くらい飲んだ。)

セブンで回復した体でワット・ロカヤスタに辿り着き、参拝を終え、これ以上先へ歩いては帰りが遅くなると思いここから戻ることに。

来た道とは違う道を帰った。

アユタヤからバンコクへ戻るバスに乗る前に、初めに見た自転車のレンタルサービスをしている人にまた会った。今の疲労とレンタル代を比較すれば全くボッタクリじゃない。疑ってしまいすみませんでした。

予定ではこの日の最後にムエタイ観戦を予定していたが、疲労からそんな気にはなれず、ホテルまでの帰り道にあるバンコクの百貨店を少し見て帰ることにした。

しかし着いた時にはもう閉店間際。
店の前で菓子を食いながら喋る店員、商品のマッサージチェアで寝ている店員など、もう閉店も同様、商売は終わりという雰囲気の店が多かった。
そんな状態の店には入りづらい。
しかし、そのゆるさが見ていて心地良かった。

結局、この日のヘルスケアアプリを見ると35,000歩以上歩いていた。

1月2日

タクシーでワット・アルンへ。
派手な装いのタクシー運転手だった。ハット、サングラス、いくつもの指輪。運転席周りも煌びやかで派手な装飾。スナック菓子を食べながら運転していた。
運転席の後ろに貼られていた運転手の顔写真(証明写真のようなもの)は飾り気がなく顔をはっきり見せている写真だが、この写真の本人が運転しているのかは分からなかった。

到着したらしく、寺院の入り口らしきところの前で降ろしてくれた。早速入り口へ行き、すぐに見えるであろう細かい装飾の大きなワット・アルンを探したが全然見つからない。地図アプリを開いてみると別の寺院に位置情報が示されていた。
ここじゃありません、ともうタクシー運転手に言うことはできなかったが、ワット・アルンまでは歩いてもそう遠くはなかったので良かった。



続いて有名観光地を巡る。


ワット・ポー
ワット・プラケオ
カオサン通り
シリラート博物館

夕方になり、そろそろホテル近くのバンコク中心街まで帰ろうと思い、シリラート博物館の近くでタクシーを止め行き先を告げるのだが、ことごとく断られる。皆何かを言いながらすぐに首を横に振る。はっきりとした理由は分からなかったが、どうも遠いらしい。遠い客を乗せるのは稼ぐのに効率が悪いのだろうか。次のタクシーでもっと近くにあるカオサン通りまで、というとOKを出してくれたので、乗り継いで帰ることにした。

こうして旅の終わりを惜しみつつ、順調にドンムアン空港まで辿り着き、無事帰国した。
(帰りの機内では男が空いている席4つを使って横になっているのを見て驚いた。)

今思うと欲張った旅だと思う。
ただ、行くことに拘って見て何かを感じることは少なかったかもしれない。特に観光名所と言われるところでは。

旅をしていると入ってくる情報は山ほどある。しかしそのほとんどの情報や感情が処理しきれず頭に残らないことが多い。こういう時、歴史を知っていると感動が深まるんだろうなと思う。

もっと他に美しい景色もあった気がするのだが、思い出すのは何気ない出来事。

ただそれは実は自分が知りたいと無意識に思っている地元の生活感だったりするのかもしれない。
そこでは当たり前だが、私の知らない土地でも人が生活を営んでいることを見て、普段の自分の生活と照らし合わせる。

技術の進歩が早くて知らないことは増えていくばかりの焦る世界だとしても、私は住人のような旅人となり、ただ知らない土地の生活感を見ていたい。

その時、自分が生きていることを実感しているような気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?