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センチメンタルな自己顕示欲

本を読むのが遅い自分がたまに嫌になりながらも、気になって読んできた本がある。

本棚に並べた数冊の本。

表紙を見ると、その本の内容よりも先に、読んでいた時の環境や手に取った瞬間が蘇ってくるものがある。

無限の網/草間彌生

仕事の研修で大阪へ行き、帰りに蔦屋書店に寄った。中央に読書ができるスペースがあり、植木が並んでいたフロアだったと思う。そのフロアに美術関係の本が並ぶコーナーがあり、様々な色合いの表紙に目を奪われていると、どれかを手に取って見たくなった。
美術に関する知識はほとんどないが、美術は自由に楽しむものだと自分に言い聞かせて、直感で選ぼうと表紙ばかり見ていた。

そして目に止まったのがこの本。美術関係のコーナーだから大きい本、分厚い本、横長な本等、形が様々な本の中に、この文庫本が小さく収まっていた。

水玉の絵があることしか知らなかったが、表紙の強い目力と人々を惹きつける人間の自伝を知りたくなり、買った。

時よ、待ってくれ。私はもっとよい仕事がしたいのだ。

この言葉に痺れた。次々と溢れるアイデアを形にしていく闘争が物凄い。

この本がきっかけで、松本市美術館と草間彌生美術館へ足を運んだ。そういえば、かぼちゃのオブジェを見るためだけに鳥羽市のホテルへも行った。

この本を読んでいなければ行っていないだろう。芸術家の背景を知ると作品の見え方が変わった。

奇界紀行/佐藤健寿

徳島県三好市で「怪フォーラム」というイベントが開かれ、出演者に佐藤健寿さんがいると知り向かった。出演者には京極夏彦さん、荒俣宏さん等豪華な方ばかりで、メインは妖怪について語るイベントだった。
佐藤健寿さんはTBSのクレイジージャーニーという番組で紹介するものがいつも面白かったので知っていた。写真と旅に対する姿勢がカッコよく、私の憧れである。
それで一目みたいという気持ちと間違いなく面白いものを見させてくれるという期待を抱き向かった。

期待通りの面白さだった。ロシアの北部、北緯70度近辺の北極圏に暮らすネネツ族の生活を切り取った美しい写真を今も思い出す。ネネツ族はトナカイを食す際、血を一滴も無駄にしないようにさばく。そんな写真もあり、ネネツ族の生き物を大切にする姿勢に感動した。

感動の余韻と海外へ旅に出たい欲望を抱きながら、他にはどんな催しがあるのかと会場を回っていると、奇妙な表紙の本が目に入った。

それがこの本。

「…なんと!」
心の中で叫ばずにはいられなかった。いや、少し声に漏れていたかもしれない。
佐藤さんの奇妙なものに出会う旅を写真と共に紹介する本で、「いつか海外へ旅に出たい」と漠然とした気持ちは抱くものの行動に移せない自分を変えたく「面白い旅を味わえる本が読みたい」とこれまた漠然と思っていたところに出会った本だった。

買いたい欲望の次に本の厚さに目が止まり、その厚さが本を読むのが遅い自分にとってはネックに感じ、買いたい欲望と読みきれずに本を無駄にしてしまうのではとの不安、2つの気持ちがせめぎ合うことになった。

「巷に溢れる啓発本と同じくらいの厚さじゃないか。大したことない。いや、まともに読めた本が今までにあったか?…思い出せない。BOOKOFFで売った記憶はある。」

そうやって葛藤しながら、他の商品を興味もないのに購入するか検討しているような素振りを見せながら考えていた。

もう一度本の前に来た時、店員さんが呟いた。

「この本面白いんですよ〜。佐藤さん面白いですよね。しかもこれはサイン入りです。あと数冊か…」

読むのに時間はかかったが、やはり面白い本だった。佐藤さんの旅するところは、難解な、けど奇妙だからじっくり読みたい本。
私の知識と語彙力では到底言い表せない奇妙なものが盛り沢山である。
そして写真だけでなく、絶妙なニュアンスで綴る佐藤さんの文章が私の好みである。

この本が佐藤さんの著書の中で初めて読んだ本だと思う。絶妙なニュアンスの文章と奇妙な写真にはまり、他の本も図書館で借りたり、有名な「奇界遺産」を買ったりした。

たしか、あとがきに好きな言葉があったが、思い出せない。

他の本を思い出しながらこの記事を書いていると、本棚にはない、前に図書館で借りた本を思い出した。

空飛ぶ円盤が墜落した町へ/佐藤健寿

むしろはじめから、この世界が”わからない”ことだらけだということを”知る”ためだけに、旅をしていた気さえするのだ。

これだ。

この文庫本のあとがきに書かれた最後の言葉。
また図書館で借りてきてこの言葉を引っ張り出してきた。(次はすぐ読めるように、借りずに済むように、この本を購入することにした。)


初めてこの言葉を読んだとき、いてもたってもいられず、漠然と抱いていた海外へ旅に出たいという気持ちを初めて形にすることができた。この言葉のおかげだと思う。

他人の意見や変なわだかまりを持っていたせいで、自分で自分の意思を抑えていることに気付いた気がする。

「何故海外へ行くのか。日本のことも大して知らないくせに。そこへ行って何が学べる?そこの歴史は知ってるのか。ただ見るだけで帰ってくるなら行く意味はない。金の無駄だ。自分に見合った旅をしろ。」

そう他人から言われる気がしていた。他人は誰なのか分からないのにだ。
当時若しくは今も、自分が他人にそう思っているのかもしれない。思っているときは無意識に。当時の他人は自分だったのかもしれない。

この気持ちを振り切った刹那、旅は台湾、タイへと繋がった。

i/西加奈子

年末
タイへのフライトは約6時間

これまでの人生で6時間ものフライトを経験した事がなかった私は機内で暇になることを想像した。

寝て過ごすこともできる。なんなら眠たかったら寝たほうが良い旅ができると考えていたが、何らかの事情で寝られない場合を想定して暇潰しの何かをいくつか持っていくことにした。

アイマスク、マスク、イヤホン。この3つは快眠のために必要。

次に「地球の歩き方」
これを元に行きたいところは決めてあったから迷ったときに読めばいいのだが、この本はその国の雑学等細かい情報も多い。
読めていないところがいっぱいあったから、これだけでも十分暇潰しになる。

こんなもんかと思っていたが、行ったことのない国への新鮮な旅の始まりだから、ふと新しい本をお供にしたいと思い付き、出発する数日前に本屋へとりあえず行ってみた。

体は行ったことのない旅へ出るが、頭の中も知らない世界を旅したい、という妄想を満たすべく本を探した。かといって難しい専門書はカジュアルではないから、という面と向かっては恥ずかしくて言えない理由で選びたくなかった。そして荷物が重くならないよう軽い文庫本がいい。

文庫本サイズであること以外に、明確な目的がなく本を探すと、これみよがしに宣伝してくる本屋一押しが目に付く。

本の表紙、本屋の紹介文、文庫本開いてすぐにある西加奈子さんの経歴、そして数ページ読んでみて…この本にしようと決めた。

スマホで検索すればどんな本かもっと紹介されているだろうと思ったが、ここに来るまで知らなかった本を調べて読むより何も知らずに読む方が面白いはずと思った。驚きたいのだ自分は。

今では本屋の紹介文ありがとうという気持ちである。どんな紹介文だったかは覚えていないが、その紹介文があったから手に取ることができた。


搭乗して、日本人ばかりではないことに少し緊張し、ワクワクし、離陸を感じる。

シートベルトを外してよい合図が出たとき、眠くはなかった。(眠いときは離陸する前に寝ていたりする)新しいお供を読むことにした。

まだこの本にのめり込めていなかった序盤、隣の席でタイ料理を注文しまくる男二人組が気になった。私にはタイ人に見えた。タイ人がタイ料理を注文しまくっている。私も食べたい。私は、金は限られているし現地で食べた方が美味しいはずだと思い、さっき注文を我慢したばかりだった。

隣の男二人組はビールも追加している。たしかLEOビール。美味そうに飲んでいる。

タイ料理に食らいつくタイ人を横目に、本からは   を突き付けられる。

視界の隅に入る料理。美味そうだ、とたまらず本を地球の歩き方に切り替えて、グルメページを読む。

にしてもさっきの   はこれまで考えたこともなかったと頭に引っかかってまた本を切り替える。

気付いたときには終盤へ差し掛かり、男二人組の食事は終わっており、読み終える前にシートベルト着用の合図が出た。

先が気になる。けど、到着する。

血の繋がりと存在意義。子供を望むが恵まれない人、子供を望んでいなかったが恵まれた人。震災やテロで亡くなった人は多いが、自分はこれまで世界中で起こる災いに巻き込まれることなく、のうのうと生きていることに幸せだと素直に感じられない違和感を抱えていること。

比較するのではない。善悪を決めるのでもない。自分はこれらの問いに自分の考えを見出せずにいる。

旅の昂揚感が体から消え、もどかしい気持ちを抱えてタイへ着陸した。こんなに気持ちを揺さぶられるとは思ってもみなかった。

入国手続きが終わり、タイの暑い空気に触れ、日本は寒い年末であることを思い出し、緯度が違うとこんなにも気候が変わるのかと実感する。道中で、答えを見出せなかった空白を埋めるべく思いを巡らせるが、慣れない土地の慣れない交通網に翻弄され、考える余裕も無くなり、徐々に旅を楽しむ気持ちへ切り替わっていった。

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帰国の飛行機では少し旅の余韻に浸り、疲れから眠気が襲ってきた。今度は隣にカップルらしき男女がいたが、シートベルトを外せる合図が出ると、男は1つ後ろの席4席を利用して横になって寝ていた。女は男が座っていた席に足を伸ばして寝ている。

そんなのありなのか、と自分はシートを後ろに倒して隙間から見える横になって寝た男に心の中で問うた。買ったのかその席は。たまたま空いてただけなのか。

疲れと回答の無い問いを抱えて、本の続きはまともに読めなかった。

熟睡できず帰国。

帰国後、自宅で読み終わった。今もこの本からの問いには考えさせられるが、気づいておきたい問いを提示してくれる本。タイの旅の思い出もセットで提示してくれる本となった。

センチメンタルな自己顕示欲

この記事のタイトルは佐藤健寿著「奇界遺産」の解説、加藤直徳氏の言葉をお借りした。初めて読んだときは特別な感情を抱かなかったこの言葉が、今回本棚を見返して、この言葉が妙に引っかかった。

頭の中にある何かを形にしたいと思いとにかく書いてみる。ふと読んだこの言葉が目に焼き付いている。こんなことを書いている自分はセンチメンタルな自己顕示欲を持った1人かもしれないと恥ずかしくなった。

ただ、書くことで前に進んでいる気がするのだ。前に何があるか分からないが。

こんな言葉もセンチメンタルだろうか。いや、感傷的ではない、前向きな言葉である。また、自分の言葉を顕示することで、脳内で考えるだけでは現れない変化を期待している。

顕示するというよりは、晒すということにしておきたい。主張が少し控えめになる気がする。

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