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猪名部神社【三重・東員町】

三重県北部、員弁郡東員町(いなべぐん、とういんちょう)に鎮座する猪名部神社(いなべじんじゃ)は、そのHPには「第四十代天武天皇皇居跡 猪名部神社」と謳われています。

天武天皇の皇居、つまり住まいがあったということです。

しかし、この神社のご由緒やご祭神に、天武天皇を示すものは一切見当たりません。

一体、どういうことなのでしょうか?

まずはHPに記載されている「由緒」から探ってみましょう。といっても、由緒は非常に文字数が多いので、20.315的にまとめてみます。

1. 猪名部氏は、もともとこの地と摂津(現・兵庫県)の猪名川周辺から移住してきた豪族と融合した豪族。
2. 第43代の元明天皇の命令によって「猪名部」→「員弁」に変更。
3. 猪名部百世(いなべももよ)が棟梁、益田縄手(ますだなわて)が副棟梁として、奈良の大仏と東大寺を完成させた。
4. 猪名部百世は宮中に仕えた名工として日本書紀にも登場。「法隆寺」や「石山寺」、「興福寺」の建立にも関わり、「飛鳥寺」もそうらしい。
5. ご祭神の伊香我色男命(いかがしこおのみこと)は、猪名部氏の祖神(おやがみ)である。
6. 当神社の創建は不詳だが、延喜式神明帳に記載されている。
7. 猪名部氏の子孫、春澄善縄(はるすみのよしただ)は、「続日本後記」二十巻を著した郷土の文学博士である。
8. 鎌倉時代には、流鏑馬を奉納し「大社祭」とした。
9. 神社境内は古墳にあり、猪名部氏の墓である。

猪名部氏も、元をただせば物部氏(もののべうじ)の血を引く豪族です。ですから当然、祖神は伊香我色男命なわけです。

ただ、以上の「由緒」を仔細にみても、俯瞰してみても、天武天皇の「て」の字もなく、その関係性は皆無です。

一体、天武天皇と猪名部神社はどのような関係があるのでしょうか?

完全に無理難題を突き付けられた20.315です・・・。

いなべ神社3

ただ、日本の歴史自体を紐解くと唯一、天武天皇と猪名部神社の接点が見つかります。それは、由緒書きとは全く関係なく、天武天皇が歴史の表舞台に登場する「壬申の乱」にあります。

壬申の乱。

日本古代史上、最大の内乱でした。近江、山城、大和、河内、摂津、伊賀、伊勢、美濃にまたがる戦争です。

簡単に言ってしまえば、皇位継承に関わる一大戦争ですね。

戦争になった原因は、大化の改新をスタートさせた天智天皇が「次の天皇は自分の子」と勝手に決めてしまったことにあります。

実は天智天皇には大海人皇子(おおあまのおうじ)という弟がいました。皇位継承の順番でいえば、次はこの弟である大海人皇子が天皇になるはずだったのです。

世の中には仲のいい兄弟もいれば、めっちゃ仲の悪い兄弟もいます。二人の関係は後者だったのかもしれません。

天智天皇は自身の子である大友皇子(おおともおうじ)に皇位を継がせたいと思っていたんです。このことは、大きな声で口外しなくても、周囲は何となく気づくもんです。

弟である大海人皇子は、それを察知して無茶苦茶用心深くなり、「次の天皇は麻呂(自分)にね」などと言おうものなら、斬首されるのでは?と身構えていました。

彼が下した決断は「殺される前に、ひとまず逃げる」というもので、出家して坊主になり、奈良・吉野に引きこもります。

吉野では、各地方豪族を密かに味方に引き入れまがら「やがて来るだろうという、その日のため」に力を貯めていました。

672年1月、天智天皇が病で崩御。

すぐに、実子である大友皇子が即位して弘文天皇となるも、大海人皇子が遂に挙兵して、「天智天皇派」と「反天智天皇派」の戦争が勃発、各地で皇位をめぐる激しい戦いとなります。最終的には大友皇子が率いる近江朝廷軍が大敗し、彼は自殺します。

いなべ神社2

この戦績をたどると、大海人皇子が吉野から伊賀、鈴鹿、桑名を通って美濃の不破関(現在の関ヶ原付近)に進軍したことがわかります。

三重県東員町は桑名と数キロの距離です。

20.315の想像に過ぎませんが、大海人皇子は一時期、この東員町に居を構え、東国武士へ援軍依頼を図ったのではないか、ということです。

もうひとつ、想像をはたらかせると次のような推測もできます。

壬申の乱後、大海人皇子は即位して天武天皇となりますが、しばらく美濃に滞在し戦後処理していたといわれています。その後、飛鳥に都を再建します。この美濃滞在と飛鳥へ行く途上で、飛鳥宮再建を指揮するために、もしかしたら、東員町に滞在したのかもしれません。

その滞在が「皇居」といわれる由縁かもしれません。

いずれにしても、古社には深い謎が秘められていたりします。
壬申の乱と猪名部神社、そのつながりには、多くのロマンが満ちているのでないか、と思う20.315です。

【基礎データ】
■創建 不詳 ※猪名部氏ゆかりの古墳や天武天皇の関係からも、おそらく古墳時代ではないかと思います。
■祭神 猪名部氏祖(いなべうじのかみ)、伊香我色男命(いかがしこおのみこと)、建速須佐男命(すさのおのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)
■住所 三重県員弁郡東員町北大社796
■HP 猪名部神社

※写真は全て20.315が撮影。


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