金王八幡宮1

金王八幡宮【東京・渋谷区】

東急さんの再開発が急ピッチで進む渋谷。
そんな渋谷でも、少し歩けば神社があります。Google Mapで検索すると、渋谷駅を中心に半径1キロ内に10か所ほど見つかります。

この近辺で名高い神社といえば、この金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)のほか、隠田神社(おんでんじんじゃ)渋谷氷川神社(しぶやひかわじんじゃ)でしょうか。

今回、20.315が訪れたのは渋谷警察署からほど近い金王八幡宮です。

金王八幡宮のご祭神は応神天皇(おうじんてんのう)です。応神天皇は第15代天皇ですが、本当に実在していたのかしていないのかがわからない不思議な存在です。別名も多く、八幡大神(はちまんだいじん)、誉田別尊(ほんだわけのみこと)、胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)、品陀和気命(ほむだわけのみこと)、大鞆和気命(おおともわけのみこと)などがあり、この金王八幡宮HPでも応神天皇[品陀和気命]と紹介されています。
さらに、神仏習合により、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)ともいわれていました。

金王八幡宮2

応神天皇に関する出自や来歴等は、あまりに膨大なので別稿にて記します。ここでは金王八幡宮の名の由来について簡潔に記しますね。

金王とは金王丸という子供の名前が由来です。この八幡宮はかつて、渋谷城というお城の中にありました。渋谷城主の河崎基家(かわさきもといえ)の子を重家(しげいえ)といい、重家は堀河帝から渋谷姓を賜ったので、ここが渋谷という地名になりました。重家の子を常光(つねみつ)といい、彼が「金王丸」と呼ばれたことが金王八幡宮の由来です。

この神社のHPに ”重家には子がなく夫婦で当八幡宮に祈願を続けていると、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る霊夢をみて立派な男子を授かりました。そこで、その子に明王の上下二文字を戴き「金王丸」と名付けました。” とあります。

その後成人し、名の通り武功を立てますが、京都で非業の死を遂げます。
時の将軍、源頼朝に義経討伐の命を受けて出陣しますが、義経を討つ気持ちはなく、義経の館で捕らえられ自害したのか殺されたのでしょう。

その金王丸の意志を讃えるため、あるいはその魂を慰撫するために、この八幡宮は「金王」と称することになったのだろう、と20.315は思います。

金王八幡宮3

ところで、この神社ですが、氏子地域に「渋谷区松濤」が入っています。松濤といえばイコール超富裕層ですね。
松濤かどうかは知りませんが、かの村上世彰さんのご自宅も確かこの辺りかと・・・。あやかりたいっすね、だから参拝したんです。ってウソです。

ちょっと、下世話な話になっちゃいましたけど。

・・・金王八幡宮は、今後も益々発展するに違いありません!

【基礎データ】
■創建 寛治6年(西暦1092年) 平安時代
■祭神 応神天皇
■住所 東京都渋谷区渋谷3-5-12
■HP 金王八幡宮

※写真冒頭は東急電鉄HPから。他は20.315撮影。
※河崎基家とその子孫のよみがなは、あくまで推測です。

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