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花園神社【東京・新宿区】

ここは新宿、花園万頭(はなぞのまんじゅう)の前です。花園万頭といえば、花園神社(はなぞのじんじゃ)、花園神社といえば花園万頭、否、花園神社の方が先ですね。笑。

創建は不詳。HPにも詳らかではありません。家康が関東にやってきた頃には、すでに神社はあったらしい、ということなので戦国時代なのか安土桃山時代なのか、あるいはそれ以前なのか想像するしかありません。

HPには「大和吉野山から勧請」と書かれています。わざわざ「大和吉野山」と記述されていることから、ひょっとすると奈良時代なのか平安時代なのかもしれません。

江戸時代中期、この辺りは宿場が設けられ「内藤新宿(ないとうしんじゅく)」と呼ばれます。五街道の起点である日本橋から、甲州街道沿いには「高井戸宿」があったのですが、日本橋から高井戸までは約16キロもあり、当時の浅草の商人たちがもう少し日本橋から近い場所に「新しい宿」を作りたいと幕府に提案して認められたのが、この地「内藤新宿」でした。こうして開設された新宿は、新しい繁華街として発展していくわけですが、同時に花園神社も新宿総鎮守として発展していきます。

花園神社1

時は変わって、昭和3年。
花園神社の境内にある「芸能浅間神社(げいのうせんげんじんじゃ)」が摂社として設けられ、数々の芸能人とゆかりが深い神社でもあります。

なぜ、花園神社が芸能とゆかりが深いのでしょう?

江戸の大火により社殿が焼失したため、再建のために境内に劇場をつくり見世物小屋にしたり、演劇や踊りなど興行して資金を集めました。今でいえば、ショーパブやキャバレーみたいな感じでしょうか。うーん、歌舞伎町の原点かもしれませんね。

こうして花園神社は芸能との関係を深め、唐十郎のテント芝居やテレビドラマの舞台として使用され、現在でも芸能との深いつながりが続いています。

花園神社2

さて、肝心の花園万頭です。

「日本一高い、日本一うまい」といわれる饅頭ですが、案の定「本日売り切れ」でした。生菓子のため賞味期限が3日間であるため、毎日数量限定の販売なんです。
やむなく、葛まんじゅうを購入。「やむなく」といっても、この葛まんじゅうも、とってもおいしい。
冷やして食べると最高です!

花園神社1

【基礎データ】
■創建 不詳
■祭神 倉稲魂命(うかのみたま)、日本武尊(やまとたける)、受持神(うけもちのかみ)
■住所 東京都新宿区新宿5-17-3
■HP 花園神社

※写真は全て20.315が撮影。



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