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おばあちゃんが死んだ

おばあちゃんが死んだ。
弱々しくなっていく姿を数年前からずっと見ていた。なので私含め親族は皆心の準備はできていて、いざ亡くなったという連絡をうけてもすんなり受け入れることができた。

だからだろうか、いろいろ小ネタ?ではないけど、思うところあり。書き残しておきたいことを箇条書きで。

■そもそも、実は葬儀はこれからだ。

数日前に亡くなったのだけど、葬儀は数日後だ。こんなことある??

友引ならまだしも、それ以上に間が空いている。聞くと、どうやらうちが檀家になっているお寺の和尚さんが長期出張中?とやらで、帰宅を待って葬儀を行うらしい。

和尚さんに良いように言われているだけでは?と思っていたけど、どうしてもその和尚さんに送ってもらいたいという祖父の意向とのことだ。他の和尚さんを紹介してもらうという話もあったけど、拒否したらしい。

結局、祖母は見送られるまで1週間近く自宅に安置されることになった。それって、ちょっと…いやかも…(ごめんおばあちゃん)
病院から、くれぐれも部屋は涼しくしておくようにと言われたらしい。
そんな…

・思ったこと:信仰心と人の死って、人を思いもよらぬ方向に動かすんだなぁ。

そして、亡くなってから葬儀まで1週間近く時間があることで、主に参列者関係が流動的になる。亡くなったとの情報をどこからか聞きつけた人が葬儀に出たいと連絡してきたり、参列予定だった人が体調不良なので行けませんってなったり。その都度お弁当の数やお菓子の量でてんやわんやする。

・思ったこと:亡くなってから葬儀はできるだけすみやかに。

■遺影の写真が26年前に撮られたものだった。

遺影を見てまず思ったことが、「あれ?このおばあちゃん若くない??」だった。聞くと、26年前に撮られたものらしい。26年前って…まだ1990年代…

こんなに昔の写真も遺影にできるものなんだ。だったら私の遺影も、若くて、細くて、きれいな、20代の頃の…(なーんて)

同じ写真に祖父も映ってて、祖父の遺影もこの写真にしてほしいとのことだった。祖父はまだ元気なので、将来「30年前の写真を遺影にするなんて…」ということになるかもしれない。

・思ったこと:遺影って、案外自由。

■葬儀業界って大変。

とにかく人手不足らしい。同じ葬儀会社が運営する葬儀場が近隣にいくつかあるけど、葬儀がある式場にスタッフが集められるので、葬儀が重なると場所は空いてるけどスタッフがいないので葬儀はできません、ってことで断ってるとのこと。

また、火葬場スタッフは資格が必要。火葬技師というらしく、今回初めて知った。技師がいないと普段10人火葬できるところ5人しかできなかったりして、火葬の順番待ちになるとのこと。

・思ったこと:供給制約社会がここにも。

■死ぬってどんな気持ちだろう。

祖母は認知症だった。最後の数ヶ月は会話もほとんどできなくて、お見舞いに行ってもずっと寝てて反応がなかった。誤解を怖がらずに言うと、生きているけど死んでいるような状態だった。その状態から亡くなってしまったので、今もただ寝てるだけのように見える。そして、もしかしたら本人も死んだことに気づいていないかもしれない。

苦しまず、眠るように、この世から去っていった。そんな死を迎えた祖母を私はうらやましいと思う。

祖母は当時40代だった子どもを亡くした経験があり(病死)、そのことを生涯ずっと悲しんでいた。なんで私を連れて行ってくれないのとよく言っていた。
いつだったか、深夜急に行方不明になったこともあった。家族総出で捜索し、近所の農道で包丁を持ったまま倒れた祖母を発見(ケガはなかった)、そのときも「〇〇ちゃん(子ども)、私を連れて行って」と泣いていた。家まで送り届けた私も、車を運転しながら泣いた。

祖母はあの世で最愛の子どもに会えているだろうか。やっと、ある意味で願いが叶った祖母。これを書きながらも涙が出るけれど、さみしいなという気持ちと、良かったねとの気持ち、半分だ。

・思ったこと:さみしいけど、良かったね、おばあちゃん。


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