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やりたかったこと、思い出した~地元学に取り組む大学生だった自分が木下斉さんに出会うまで

地方には地方の良いところがある。地方は東京を目指す必要はない。

実はすごい東京の国際競争力【2/2】2000年以降の東京再生の歴史と意義と今後の課題(2024/5/21 #1179) | 木下斉 / HITOSHI KINOSHITA「木下斉の今日はズバリいいますよ!」/ Voicy - 音声プラットフォーム

今日の木下斉さんのVoicyを聞いて、私は大学生だった頃のことを思い出していた。


「地元学」に出会うまで

私は経済学部に通う大学生だった。もう20年近く前のことである(恐怖)。志望する大学を選ぶ際、高校の先生に言われたことは「将来特にやりたいことがないのだったら、経済学部を選びなさい」、だった。理由は潰しが効くから。

将来やりたいことは特になく、大学合格が目的となっていた私は、先生の言う通り経済学部を受験、合格した。大学の同級生も将来のイメージが固まっている子は少なく、四年制大学だし、経済学部だし、就活にも有利なんじゃないの~?ぐらいの軽さで大学に通っていた。

最初の2年間は基礎教養科目がほとんどだったので特に問題はなかった。問題は3年生以降である。「ゼミ」という少人数グループワークに属すことになるため、専攻を選ぶ必要があった。専攻、つまり自分が特に力を入れて学びたい学問のことだ。

特に学びたいこともない自分は、ちょっとでも興味があるゼミがあればもうそこで決めてしまおうと思った。それが、「地元学」との出会いに繋がる。

目的意識のない自分でも、地元のことを何とかしたいという気持ちは持っていた

ゼミ選択にあたって、まずはそれぞれのゼミでどのようなことを学ぶのか説明会があった。
マクロ経済学、ミクロ経済学。そもそも経済に興味のない経済学部生なのに、こんな数学のにおいがする学問は無理!と、却下。
考古学、言語学。経済学部なのに、なぜ。特に興味なく、スルー。

その中で、これだ!と思ったのが「地元学」だった。

地元学とは

地域のもつ人と自然の力、文化や産業の力に気づき、その地域に眠るたくさんの宝と、住民達の潜在的な能力を最大限に「引き出す」手法です。

私たちが何気なく過ごしてきた地域には、実はすばらしいものがあります。「こんなものが」と思うような「あたりまえのもの」が、実は外の人が見れば新鮮で、価値があるものだったりします。それを見出すことが地域の持っている力、人の持っている力を引き出す地元学の第一歩です。

地元学.comより

目的意識もなく遊んでばかりいた大学生の自分ではあったが、自分の地元への愛情と危機感は持っていた。地元が好きでずっと住み続けたいのに、人口流出・少子高齢化は歯止めがかかりそうにないし、幼いころあったお店はどんどんなくなり、駐車場や住宅に姿を変えている。周りの人は「こんな田舎に何もない」と諦めていて、衰退していくのをただ見ているだけ。

こんなことで良いのかと危機感を抱き、地元がいつか無くなってしまうのではと、想像したら恐怖だった。

「地元学」 遊んだことが学問になった

地元学を学べば、自分も地元のために何かできるのではと、このゼミに入った。同じゼミに入った子は私含めて2人。少ない…。後に聞くと、先生が厳しいとの噂があり敬遠した生徒が多いらしかった(全然そんなことなかったけど)。

ゼミでは先生と生徒あわせて3人、いろんなところにフィールドワークに行った。「地元の良いところを見つける」を目的として、廃れた路地裏を歩く。山間の知られてないけれど地元民で賑わう謎の飲食店でご飯を食べる。農村を歩いては畑で何が作られているか調査する。出会った人の家に上がっておしゃべりして、地域の歴史を聞いたりご飯をおよばれする。振り返ると、フィールドワークと称したただの遊びだったと思う。

フィールドワークに慣れてきた頃、先生が関わっていた地域の1つを割り当てられた。それからは先生以上にこの地域に通って様々な活動を行い、最終的にそこでの取り組みをまとめたものが卒論になった。

卒論にはなったけれど、やっていたことは全て遊びの延長線上にあるものだった。しかしこの遊びこそが「地元学」という学問の基礎だったのだ。地元で遊んで、地元にある「良いもの」を見つけ、引き出していく。地元にある良いものは地元民も気づいていないことが多かった。

都会と比較するから「ここには何もない」となる。そりゃスタバはねぇ、コストコもねぇ。よ。だけど、ここにしかない食、自然、風土、魅力は無数にあった。それを地元の人たちと一緒になって見つけ、「これを生かしたら何かなるんじゃないか!?」と考えるのが何より楽しかった。そしてこの活動を、大学を卒業してもずっと続けていこうと思っていた…。

大学卒業後、地域活動からは遠のいた

大学を卒業し、私は地元の銀行に就職することになった。地元に帰るということで、ずっとフィールドワークをしていた地域での活動は難しくなる。けれど、地域活動には関わっていたい。どのように…と考えていた矢先、地元学の提唱者である吉本哲郎先生が熊本県水俣市で合宿を開催するというので参加した。そこで、私が帰ることになっている地元の大学から参加していた先生と出会った。

水俣の地でこんな出会いがあるなんて…と感動すると同時に、私はその先生に春から地元に帰ること、帰ったら私も地域活動に参加させてほしいということを伝え、連絡先を交換した。

あぁ、これで就職してからも地域活動に携われる…。そう思っていたが、連絡が来ることはなかった。まぁ生徒以外の人の世話まで見れないわなと。
私も慣れない業務と資格試験の取得に追われ、地域活動どころではなく、こちらから連絡することもなかった。

また、転勤、結婚、転居などライフステージの変化もあり、地域活動をしていきたいとのキラキラした気持ちは失われてしまった。

木下斉さんとの出会い

淡々とした日々を過ごす中、Voicyでちきりんさんの配信を聞くことが日常になっていた。そこでよくゲストに出ていた木下斉さんの存在を知る。まちづくり、地方創生をやっている人らしいとのことで、大学の頃の自分の活動とリンクするな~と思いながら(今考えるとそんな浅いものではないのだけど)無料で聞ける配信をかいつまんで聞いていた。

そんなある日、私が地域活動に参加していた地域に木下斉さんとちきりんさんが訪問し、現地で配信を行ったのだ。これには本当にびっくりして、その地域の窓口となってくれていた人に慌てて連絡した。その方は「木下さん来てたの!」と驚いていた。木下さんの記事をよく読んでいたとのことで、有料の配信も買ってその地域の考察も聞いたらしい。「いろいろあって、この2人が言うようなことは難しいよ~」とは言ってたけどw

そこからまた一気に地域活動への思いが再燃する。私は本当は地域に携わる活動がしたかったのだと思い出した。

ただ10年以上のブランクは大きく、今もまだ鈍った感覚を取り戻している最中だ。なかなか大学生の頃のキラキラした思考を取り戻すのは難しい。
そして、私の中で遊ぶこと・楽しいことを中心に取り組んでいた「地元学」は、ビジネスの視点が欠落していた。楽しいだけでは銭にならない。今は木下さんの放送を聞いて学びつつ、自分はどのように地元に携わっていけるか考えている途中である。

木下斉さんの放送は聞くだけでも学びになる上に、そのリスナーのコミュニティーも素晴らしいものがある。前向きで、それぞれが各々の場所で頑張っている。
私も遅れをとってしまっているけれど、ようやく自分のしたかったことを思い出した。これをどう形にするか。それは今なのか来年なのか。そもそも何をするのか。考えるだけで楽しいことがあって幸せに思う。

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