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第一話 「福岡の中卒サラリーマン大家」の不動産投資物語 サラリーマンの暗黒時期

福岡の中卒サラリーマン大家は、如何にして生まれたのか。
どのようなきっかけ、境遇からスタートしてきたのか。
今日から数回は、そんなスタート時の物語を書いてみようと思います。

所持金30万円、借金3000万円からのスタート。

そして、不動産投資を開始して1年で4億の借入
5年で15億、10年で30億以上。

新築RCメインで達成してきた、数字だけでは判断できない、
その歩みと歴史は、
人としての成長と、家族、取り巻く環境、あらゆる境遇によって
現在も歩んでいる途中です。

2011年、暗黒の始まり。 サラリーマンの苦悩。

2011年はサラリーマンで最も苦悩した時期。自分の心と戦っていた時でした。

2011年、僕は消費財系外資系企業にて働いていました。
その時、ちょうど入社から5年目あたり。

営業として高い成績を作ってきた僕は、2011年に昇進し、
東京、溜池山王にある本社への人材として抜擢され、
中卒ながら本社勤務できた出来事は、類まれな機会であり
外国人、MBAホルダーと共に勤めていました。

家族とは別れ離れになったけど、単身赴任し、
僕には一生経験できない機会と当時は意気込んでいました。

しかし、配属は、事務作業や、データー抽出、分析、プレゼン資料づくり
マーケティング戦略の立案と運営計画、ブランドチームなどとの協業などの
バックオフィス的部署であり、
自分の得意分野でない世界に突き落とされた感のようでありました。

これまでの能力を一切無効化された状態により、思考の全く働かない
そんな状態で職務を気力だけでこなす日々、
僕の強い精神力も、ズタズタにされる出来事が起こります。

それは
お局さんや、上司による超理論的な尋問のようなミスへの追及でした。

「どうしてこんな問題を起こしてしまうの?前にも言ったと思うけど、
その時は理解したはず、だけどまた起こるその理由は一体何?
何を前回は理解したの?そしてこうなった原因はどこにあると思う?」

何度も繰り返してしまう、ミスや仕事の仕方にも、僕にとって辛い
心に突き刺さる攻撃が続きました。

「何度も言ってるけど、人としておかしいんじゃない?馬鹿とした思えないし
何のためにここ来たの?」 


話の頭に「だめ」「だけど」「だって」「どうして」などを多用する
世間的に、使ってはいけない4Dを駆使して、僕を責め立てる
上司とお局によって、僕の心はズタズタになって行きました。

できない人には理由がある。因果応報を知った時。

本社から見える国会議事堂。いつしか涙が自然に流れるまで心が折れてしまいます。

中卒として、信じられない出来事、外資系企業に就職できる機会なんて
普通絶対にない。
そんな中、僕は入社し、営業職として全国1200人中、トップを数年に渡り獲得し
全国的に知られる機会を沢山経験し、この会社は僕のためにあるものだと、勘違いしてきた。

過去の営業部署では、同じ職務の仲間を僕は馬鹿にしていました。
こんな簡単な仕事がどうしてできないのか、僕はできる、君にできない
理由は分からない。
常にそう感じ、チームなんて正直どうでもいい、
自分の成績が良ければそれでいいんだ。 その結果、組織にプラスになれば、
僕の価値は認められるんだ!



あの時、そう思っていた
過去の僕は、馬鹿だった。
だけど、今の僕は、その逆になってしまっているじゃないか・・・

できない人には、できない理由があるんだ。
そのようなことを考えず、人を馬鹿にして、僕は、本当に自分勝手だった。
上司に罵倒され、お局さんに馬鹿にされながら、
僕は強く感じて、とても恥じた。

そして、心が折れた。
休憩中に、22階の窓から見える国会議事堂の背を見て
自然と涙が止まらなかった。
そして、次の日、僕は朝玄関から出られなかった。

そう、僕自身が、仕事ができない人になってしまった。
因果応報。 僕がしてきたこと、僕自身がそうなってしまった瞬間でした。

単身赴任で助かった。家族のもとに帰りたい、そんな気持ちが強くなった。単身赴任から1年足らずの出来事。

福岡に帰りたい。その時起こった出来事は僕を救った。

心が折れ、人生で初めての挫折を経験した僕は、逃げることもできず、
その後も、不得意な仕事を努力しつつ、周りの優しい方々のおかげで
少しづつ成長をして行きました。
だけど、限界に近づいていた僕は、月に2回の帰省時に、妻に
帰りたい、行きたくないと、何時も嘆いていた記憶があります。

そんな時、会社で鳴らないはずの僕の携帯が鳴りました。
妻からの電話でした。

「調子が悪くて調べてもらったら、腫瘍があって入院することになった・・・」
それは大変だ。




妻が手術することになりそうであり、そのことを
上司に報告、そして、さらに上の上席から呼びされました。

上席の部屋に入ると、まあ座れ、
「いいか? お前はすぐに福岡に帰るんだ!
嫁さんの近くにいてやるんだ!それがお前の仕事だ!」

えっ!ほ、ほんとですか?!!ありがとうございます・・・

まさか、そのような言葉をいただけるなんて。

その上席の方は、僕が辛い思いをしていることを
知っておられたのでしょう、とても優しい言葉で
励ましてくれました。

そして福岡に帰ってくることができた。
奇しくも妻の病気のおかげで、僕は救われたのです。
短い期間だったけど、僕はこの挫折することを経験させられたのだと
帰りの飛行機の中で強く感じたのであります。

そして、本社で経験してきた、実務的な仕事、マーケティング、分析、資料作り、
ブランド会社の持つ、ブランドの世界観をどう事業として取り組むべきかなど
自身の将来の事業に大きく役立つ学びを経験してきた背景がありました。

この経験なくして、今の僕は絶対に無かった
本当にそう思います。

中卒サラリーマンの本社勤務時最後のデスク。 短い期間だったが、僕には最高の気づきを得た機会。


東京に住んでいた時の部屋からの景色。門前仲町は僕にとって思い出の深い下町となった。

福岡に戻った僕は、再び、営業部署に配属され、
元々保有していた能力に加え、本社で短いながら経験した能力開発部分と
人脈を活かした仕事を開始します。

そして、過去馬鹿にしてきた仲間に頭を下げ、そして自分のための仕事を捨てて
チームへの貢献を軸に、新しい働き方を始めました。
そして、その先に、不動産との出会いが近づいていたのであります。

第二話「組織との葛藤、不動産への入り口」次回へ続く。 



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