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第七話:最終回 福岡の中卒サラリーマン大家物語 「人生を切り開いた悲願の1棟目購入」不動産投資の世界に突入したあとの悲劇は僕らを成長させてくれた。

様々な境遇から、S君の力を借りて、スルガ銀行への打診、
そして借入過多による個人信用情報の問題をクリアし
スルガ銀行での融資テーブルに乗ることになった僕は

妻と共に、購入する物件を確定させるために、
熊本市に出向きました。

そこで見たスルガ融資に適格な2棟のRCマンション。

正反対の物件内容に、妻と意見が対立します。
僕らの出した答えは一体。

そして、融資はスムーズに行くのだろうか。
スルガ銀行の画策に僕らは上手く乗れるのか。

熊本市の大きなメイン通りにある、築浅RC、そしてもう一棟のどちらかを、僕らは選んだ。

築浅RCか、築古RCか、僕らの価値観を試された。

S君から提案されたのは、熊本市の投資家さんがまとめて物件を
販売されていた中から、僕らが選んだ物件は2棟でした。

その2棟に絞った経緯は、僕らの借り入れの余力の範囲内であること
1棟目からスルガが提案した、物件の評価によるものでした。

その他物件もあったけど、額面が大きすぎたこともあり、
築浅のRCマンションか、築古のRCかに限られており、
物件を選定のために熊本入りをした僕の中では
築浅物件に対して心が動いていました。

しかし現実的に利回りが低く、手残りは少ないものとなりそうでした。

まず見学した築浅物件は、メイン通りに建っており
個人的にはワクワクしていましたが
どうも心の中で、これじゃない感じもしました。
単身者向け物件、駐車場が3台しかない。
だけど立地は良い・・・ なぜか決め手となる感じがしなかった。

そして次に見学したのは、築古RCでした。
手入れはあまりされていない様子、しかし全戸ファミリー、
駐車場も17台、300坪もある。

築古RC、手入れはあまりなされておらず、古い印象。


妻は築浅RCを見た時、ふーんって感じだったけど
この物件を見た時から、

これにしようよ。

そう言ったのです。
妻は即断即決だったんです。

僕の中では、築浅がいいなと思って、熊本に来たけど
物件を見たかぎりで、感じたことは、妻の言う通り、この物件は
なんだか魅力を感じる。

築浅と築古、うーん、心で捉えると、築古。
だけど、築浅の方が当然ながら誰でもいいと言うと思う。
手残りの事も考えると、当然築古。
いい物件という側面だけだと築浅。

僕は、妻の出した答えと、自分の迷う気持ちと心と
対立することになりました。

しかし・・・・今日ここで結論を出さねばいけない。
僕が悩む前に、思いもよらず妻が答えを出した。
このことに、僕は焦った。

当時築27年目のRCマンション。


そして結論は築古RCマンションを僕らは選んだ。


そして、僕らは築古を選んだ。
迷いはあった。だけど、妻の決断に僕は良い材料を
瞬間的にいくつか得ることができた。

目の前に小学校がある。
近くにセブンイレブンがある。
近くに郵便局がある。
近くにバス停がある。
近くに病院がある。
人口が増えてきている地域である。

そして何より、僕らの雰囲気に、この物件、環境が合いそうだと
何かしら感じたのであります。

そして、S君とスルガ銀行に望みを託しました。


僕らは決めた。
S君に現地からすぐに連絡して、築古物件の方にすることを伝えました。
そして、銀行に取り次いでもらうことに。。


ついに、物件を決めてしまった。
もう後戻りはできない。

そこから1週間程度して、申し込み手続きをするため
S君と共に、スルガ銀行に一緒に出向くことになった。

初めての本申し込みに手が震えた。

僕は会社員として初めて、副業、いや、いづれ本業となる
不動産投資を開始するための融資申し込みに出向くことになりました。

ドリームプラザ福岡、僕は応接室に入ると、担当さんのTさんから
色々と説明を聞き、申込書に楷書体でしっかりと記入することを伝えられました。

どこか手が震えた僕は、楷書体でうまく書けなかったけど、
スルガの保証会社の申込書を記入。
そして印鑑を恐る恐る押しました。

いよいよ、これで審査が始まるんだ。。。
これまで幾度も挫折を感じた、僕には無理なのかと思っていた・・・・・
1棟目から1億超えの不動産投資の世界に、本当に突入できるのかもしれない。
そう感じた瞬間、僕はいつの間にか、スルガ銀行が入ったビルを出ていました。

ビルの1階でS君と別れ、あとは融資審査結果を待つのみ。
なんと結果は1週間程度。
今考えると、驚きべき速さ。

そう、当時は、すでに物件評価をスルガは出していたことから
あとは僕の個人属性を保証会社に通すだけの状態だったのです。


そして、その瞬間が訪れました。
申し込みから、1週間程度して、S君から、連絡が入ったのです。

S君 「おめでとう!融資通ったみたいだよ!」

僕  「ほんと!?!やった!すごい!信じられない!!」

S君 「自己資金は無しで、土地建物1.15億円、そして、余剰資金として500万円もセットで借り入れが通ったと連絡があったよ」

僕  「え?!どういうこと?オーバーローンってことだよね?!すごい!」

S君 「そうそう!固定資産税や空室が少しあるから余剰資金としてその分まで借り入れとなったみたいだよ」

僕  「そうなんだ!めっちゃ嬉しい!ついに・・・ついになんだ・・・」


そのような会話をS君と交わした僕は、売買契約を交わし
決済を待つのみとなった。

そして、数週間後の2013年7月31日に、無事中古RCマンションの決済を終え
僕らはついに、1棟目の購入を果たしました。


融資が通り、決済完了。僕は不動産投資家になった。そして僕らは悲劇を経験する。


僕は泣いた。
妻と一緒に決めた物件を、大事に運営することを誓った。

義母さんを助けるために、不動産投資と出会った。
義母さんが病気になっていなかったら、僕らは不動産と出会っていない。

これまで、不動産を始めるまでのきっかけ、閃き、運命的な出会い
苦悩の日々は、一連の経験を通して、全て報われたのでした。


会社、上司との確執を超えて、自分の事業を持つことのありがたさ


会社と戦う気持ちを持てた。
子の未来を暖かく守れると感じた。
義母も守れることを確信した。

そう感じた決済日。


そして、2棟目、3棟目と僕らは歩みます。
しかし、不動産投資を始めてから、半年後、僕らは悲劇を経験します。



突然の悲しい出来事、それは義母の死でした。

義母の死の直後の風景。 穏やかな日でした。 悲しい出来事は忘れられません。

それは、突然のことでした。
義母の様子を見に行った妻からの電話。

お母さんが息をしていないんだよね。
多分死んでしまってて、
信じられないんだよね。

とにかく来て・・・・・・・・・・・・・・・・・・


妻は落ち着いていました。
僕は急いで向かった。 その日、朝早く、義母は、旅立ったのです。
子の誕生日の前の日でした。


義母は僕らに不動産の世界で生きよと教えたのだと感じた。

義母は、僕らに何を教えたのだろうか
不動産を志すように、仕向けたのだと僕は思う。

今までの出来事は、出来事として気づくように
全て仕組まれたことだったのだろうと思う。

それから僕らは、この事業を生業として歩んでいます。

儲けより、価値、事業として、他の誰とも違う
不動産を活かした仕事。

始まりも誰とも違う。
固有の生き方を行なってきたから出来る生き方。

義母は、その機会を与えてくれた。
未熟な僕のために、僕ら家族のために、未来を掴ませてくれたと感じます。


熊本物件は2016年4月に熊本地震で大きな被害を受ける。

1棟目は、僕らにさまざまな出来事を経験させてくれた。


そして、義母の死から2年後、僕らは熊本地震を経験しました。
この出来事で、事業に対する価値観は、さらに大きく変化することになります。
※詳しくは、以下の記事を参照ください


熊本地震から、不動産投資を捨て、人様の命を建物環境で預かる事業であることを認識した。これは地震後、大規模修繕を行なった時の写真。

不動産投資は終わった。これは人様の命を建物環境で預かる重要な事業だと認識。

義母の死、そして熊本地震を通し、僕らの価値観は大きく変化しました。
この経験は不動産投資という言葉を捨てた瞬間でもありました。

東京にいた時から、不動産を通して、大きく人間的にも、心理的にも成長をさせてもらった瞬間でした。



東京にいた時、辛い経験をしたことは全て今生かされています。
そこで経験した事柄は、実務において今の不動産経営、金融機関に向けての
資料作り、戦略資料、自社の分析など大きく役立っています。
他の不動産投資家では作れないような、資料を僕は作れるようになった。
そして、自社のブランドマーケティング戦略立案、実行、未来を描くことのできる
プレゼンも行える、大きな武器になっています。


S君との関係は、今でも続いています。
彼の作る物件の手伝いも行なっています。
僕のこれまでの経験は、多数の方のサポートとして役立っています。
誰かの力になれるところまで、僕の能力は高められたのです。


身近な人の死、生死感を育ててくれました。
どのような生き方を僕らは望むのか、そして僕らは
どんな仕事を通して、人様に影響を与えるのか
生きた価値を残す意味を、義母に教わったのです。



僕らの不動産投資は、半年の独学勉強と苦悩の中
達することができたのです。
しかし、他の大多数の方と、何もかも違った歩み
そして経験すべきこと、引き寄せと思える、偶然と信じられない出来事の中で
その後も成長を遂げてゆきました。


福岡の中卒サラリーマン大家は、このような物語から生まれました。
そして、今も尚、独自の価値を求め、理想をイメージし
邁進しています。


そして熊本の築古RCは次のオーナーの元へ。大切に運営されています。

1棟目購入までの物語 終わり。

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