声を無くすということ
ストレスで声が全くでなくなって今日で早3日。
しゃべることが好きな私にとって、他者との会話ができなることは非常にストレスである(どうやってストレス軽減したらいいんだよ笑)。
以下、声を失って困ること3選。
1.スーパーでコミュ障人間になってしまう
普通に買い物をするだけでも人って一言は誰かとしゃべらなければならないことを知った。
「レジ袋はご入用ですか?」
「ポイントカードはお持ちでないですか?」
「箸、お付けしましょうか?」
などなど…。
確かにうなづいたりすれば意思表示はできるが、非常に冷たい人orただのコミュ障になってしまう。
やっぱり、店員さんの優しい気づかいや配慮の声かけに対しては、きちんと言葉で
「はい、ありがとうございます!」
「必要ありません、ご丁寧にありがとうございます。」
と感謝の気持ちを伝えたいものだ。
2.授業に出席できない
ただ聴くだけの授業ならなんとかスルー出来るが、初対面の人とのディスカッションなどが組み込まれている授業には出席できなくなってしまう。
友人がたくさんいる授業などでは何とか乗り切れるかもしれないが、そもそもボッチが確定している授業で、「今声が出ないんです~」ってどうやって初対面の人に説明したらいいのか…
伝えられたとしても、ディスカッションの間、一言も話せないなんて申し訳ないし、相手も自分も気まずいの確定。
それ以上に、自分の意志を表現できないことへのもどかしさを再認識するのが怖すぎて、授業に行く気になれないというのもある。
3.とにかく疲れる
1日中いろんなことに気を遣って、たくさんビタミンC摂取して、極力のどに負担をかけないように生活して…
明日こそは声が出ますように!って思って寝た次の日の朝。
「あーまた今日も声でないんか…」ってなるたびにどっと疲れる。
改善のためにはストレスを軽減させることが必須なのに、よりストレスたまるじゃないか!!なんだこれ!!
4.そもそも活動したくなくなる(おい、3選じゃなかったのか)
今いろいろなプロジェクトが佳境を迎え、自分が動かなければ何も進まないプロジェクトが1,2、3…あれ?めちゃあるやん!!
そんな状況で声が出ないうっとうしさ!
進むものも進まない。
どうしてくれるんだよほんとに。
私の周りの人はみんなとっても優しいので、本当は私にキレても全く問題の無い状況下でさえ、第一に心配してくださるが、非常に申し訳ない。
うわ~ほんとにやることいっぱいあるのにさ、どうしてくれるんだよ!
【声を無くすということ】
実際に声を無くしてみて、一人の人間として生きていくうえで、声っていかに重要だったのかを知ることができている。
もちろん、プロジェクトを動かすにあたって…、大学生として授業に出席するにあたって…、というように能動的に自分が動く際には必要であるが。
それ以上に、人間として最低ラインの生活をするためにも声は必須であることを知った。
例えば、今、いきなり誰かに襲われたとしたら、私はとっさに誰かに助けを求めることができない。
のどが渇いていて、「ちょっと水とって」すらすぐ横にいる友達にも言えないのだ。
そう考えると、ディズニープリンセスのアリエルって本当に辛かったんだろうなとも思う。
また、自分が声を無くして生活してみて、やはり思いを馳せさせさずにいられなかったのは、"耳が聞こえない人"の存在である。
私はきっとそのうち声が戻るだろう(いや、なんとしてでも戻ってくれ!)
でも、一生外の音が聞こえなくて、思うように自分の意志を表現できずにいる人がいるんだということを思い出した。
少し前から手話の勉強を始めて、耳の聞こえない人とも関わることが出てきてはいたが、ここまで大変なのかと思い知らされている。
もっともっと優しい社会になったらいいなと強く思うわけだ。
そんなこんなで、テスト週間中に声が出なくなった私は、テスト勉強の息抜きと題して、今現在唯一、自分の意志で表現できるツール、文字を使って日々のストレスを発散しているところである。
何でもいいけど、取り合えず早くテスト終わってくれ。
声も早く戻ってきてくれ。
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