見出し画像

でんぱとの出逢いや思い出を語るだけ


突然の活動終了報告

2024年4月20日

でんぱ組.inc(以下でんぱ)が、2025年頭のラストライブをもって活動終了することを発表した。
活動開始から実に16年。
メンバーは入れ替わりつつも、長期間活動してきたアイドルグループが終わりを迎える。

アイドルが生まれては消えていく現代。
売れて残れるのは本当に一握りで、9割9分の少女が夢破れて消えていく厳しい世界だ。
どこからが『売れる』もしくは『売れた』という線引きは曖昧だが、でんぱは間違いなく『一握り』側のアイドルだろう。

私もでんぱを熱心にオタクしていた時期があった。
他界してからは、対バンライブで出てきてくれて懐かしんだり、なんとなくネットで情報だけ入れていたり…という感じだった。
しかし間違いなく、あの時の楽しい時間をくれていた。
もう1回ライブ行こうかな、ラストまで突っ走ってほしいな、やっぱり残念だな…と色々あるが、まずは最大限のお疲れ様を贈りたい。

でんぱと出逢うまで

出逢いは2011年。
物心ついた頃からモー娘。が好きだった私は、当たり前のようにAKB、ももクロも好きな中学3年生であった。

ももクロは早見あかり推しであったが、彼女は2011年1月に脱退を発表し、4月に脱退。
当時は震災の影響もあり、バタバタしていたのを覚えている。
高校受験嫌だなあという気持ちと、あかりんが抜けてしまったなあという気持ちで、なんとなく無気力に生きていた。

周りの同級生は皆AKBが好きばかりで、ももクロからあかりんが抜けることも、ももクロが『ももいろクローバーZ』に改名することも知らなかった。ひどい人は「ももクロって何?」みたいな状況だったので、現実で誰に言うでもなくもやもやとしていた。

出逢いのきっかけはヒャダインさん

こちらも物心ついた頃からネットにどっぷり頭の先まで浸かっていた私は、当たり前のようにニコニコにも入り浸っていた。
何人もの投稿者を熱心に観ていたが、その中でもヒャダイン氏の『ゴルベーザ四天王』のMADを未だに覚えている。天才がいると。
その後、ヒャダイン氏が『前山田健一』と同一人物であると告白、つまりプロのアーティストだと明かしてからは、より興味が湧いていた。
ちなみに、ももクロが好きになったきっかけも、ももクロ楽曲に前山田氏が携わっていたことから来ている。

さて、この前山田氏が新たなアイドルグループの楽曲を編曲するという。
それこそが、2011年11月に発売した、でんぱの『Future Diver』だ。
秋葉原発祥のでんぱというアイドルがいる…くらいのことしか知らなかった私だが、前山田氏が携わるならとりあえず聴いてみるか…くらいの気持ちで聴いた。

とんでもなかった。
あの時の衝撃は今でも忘れない。

超王道のアイドル、モーニング娘。
音楽業界ごと巻き込んだ、AKB48。
路上の叩き上げ、ももいろクローバー。

でんぱは、私が追いかけていた3グループのどれにも無かった。

上手く言語化できないが『あの時の秋葉原』をとんでもない熱量でぶつけられた。オタクのアングラ感も、アイドルのキラキラ感も、少女の可愛げも、全てをごった煮にした鍋でブン殴られた…そんな楽曲だった。

『最上もが』という存在

そんなこんなで、でんぱもいいな、と思った私は彼女たちの情報も追っていくことにした。
今すぐにでもライブに行きたい気持ちはあったが、前述の通り当時中学3年生、しかも私立の受験開始まで約1ヶ月しかない私が行けるはずもなく。
せこせことiPodにでんぱの曲を入れ、受験勉強のお供にしていた。

12月25日、でんぱにメンバー編成があった。
跡部みぅが卒業し、新たに最上もが(以下もが)、藤咲彩音(以下ピンキー!)が加入した。

(余談だが、跡部みぅ在籍時のライブを観ていないことを未だに後悔している。当時は何とも思っていなかったが、大人になってから後悔するようになった。結局進学した滑り止めの高校は超余裕で受かったので、1日ライブ観に行ってようが結果はどうせ変わっていなかった。)

もう、ぶったまげた。
なんだこの金髪ショートは。
私は『アイドル=黒髪ロング』みたいなステレオタイプな価値観ではなかったし、何ならモー娘。では吉澤ひとみと田中れいなが好きだったので、染髪どうこうではなかった。
つまり、なんかわからんが、もがにドはまりした。
初めて服を買った。あまり手元に残っていないが、今でもコーチジャケットとTシャツを保管している。
紫と金の取り合わせっていいなって思った。
色々髪を染めてきたが、一番気に入っているのはアッシュで、これももがの影響である。

そこからはずーっともがとでんぱを追いかけていた。
周りは乃木坂とかだったが、気にせずでんぱが中心だった。
地方民かつ高校生だったので、基本は曲を聴くことや番組を観ることが中心で、ライブはデカい箱だけ狙って行っていた。野音、武道館、よよたい、みないい思い出である。

でんぱとの別れ、というか勝手に私が離れただけ

2015年。
大学生となり、上京した私はこれまで以上にでんぱライブに参戦する…こともなく、新たな出会いやバイトなどを楽しんでおり、然程でんぱの推し方は変わらなかった。デカい箱の時は行くくらい。今思えばこれももっと行けばよかったなと後悔している。

2016年。
BiSHと出逢う。長くなるので割愛。
これだけBiSHを好きになったのも、これまで好きになってきたアイドルたちの礎あってこそというか、この前段が無ければここまでハマっていなかったなという気持ちなので、感謝である。

2017年8月。
もがが脱退した。
体調が優れないことも、現場にいない時もあったこと(もがのいない現場にはたまたま私も参戦していなかったが)も知っていたため、遅かれ早かれその(脱退)可能性はあるなと思っていたので、脱退したこと自体へのショックは受けなかったが、寂しさは感じた。あかりんの時とはレベルの違う寂しさを。

もがの脱退をもって、現場に行くことは無くなった。
対バンやフェスで観ることはあっても、でんぱのワンマンや、でんぱを狙って観ることはなくなった。

その後、ぺろりん先生とねもが入ったり、ねむきゅんとえいたそが抜けたり、なんかめっちゃ人が入ったりしていたのは聞いていた。

そして現在に至る。

感謝

ということで、ほぼもががいた期間だけでんぱのオタクだったし、ライブも大箱しか行ってないし、大して貢献も出来ていないが、間違いなくでんぱは私の青春の一部であった。

『アイドル』というものに新たな風を吹かせたのも大きいだろう。
覇権を取ってきたモー娘。・AKB48・ももクロの流れから、曲もMVも電波系全開、情報マシマシでここまで登り詰めたことで『アイドルってもっと自由でいいんだよ』と表現していた気がする(勝手な解釈)

というか、でんぱの台頭は間違いなくローカルアイドルや地下アイドルに対して影響と勇気を与えていたと思う。覇権=王道ルートは、48グループや坂道グループが継承していくが『コアなファンを獲得していくアイドル像』の正解はまさにでんぱであろう。

実に16年というキャリア。
ファンも大部分が入れ替わっただろう。
でんぱに対しては色々な意見があり、中には迷走したと言う人もいるが、私としては姿かたちを変えつつも、芯を泥臭く貫き通したでんぱは素晴らしいグループであると思う。

未来へ駆け出せ!
でんぱ組!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?