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映画制作日誌(撮影期間編・監督)| ドゥー・ユー・リメンバー・セプテンバー

10月1日(土)  22:35

毎年他の月より過剰に歓迎される"セプテンバー"さんは挨拶どころか顔を出すこともなく去っていったようだ。ここからまた11ヶ月会わないというのに失礼なやつだな、と思う。忙しいのはわかるけど、挨拶くらいしたらどうなんだ。そういえば去年もこんなお別れだったような気がする。

2022年9月

あまりにもご無沙汰していてその顔を思い出せないものだから、ふと思い立って文明の利器に彼の面影をみようと思う。

目を覆いたくなるような暗いニュースばかりが出てくる。1分前の自分が [2022年9月 ワースト10ニュース] と打ち込んだわけではないことを確認していると、ある文字が目に入る。

巨匠 J=L・ゴダール 91歳で死去 2022.9.13

9月13日、奇しくもこの映画のクランクアップの日に、"彼"が死んでいた。撮影までに読もうと本棚の一番目立つところに立てかけた『ゴダール映画史』という分厚い本は、結局読めずじまいのまま家に取り残してしまった。

フランス映画で新たな波を牽引した彼は、自殺幇助で安らかに旅立ったようだった。そう記事には書かれていたが、中には彼の自殺願望は持病からの苦しみではなく精神的な苦痛によるものだとする記事も少なくはなかった。真相はいかに、なんて興味もないけれど。

彼は、100作以上の作品を生み出していた。つまり彼はそんな膨大な数の脚本を書き、撮影をして、映画に仕上げていた。

「ああ、ゴダールも映画を作っていたのか。」

「そうか、ゴダールも、映画を愛していたのか。」

口に出す価値もないような当たり前のセリフが、音にならないまま口から漏れた。脳内で呟いていたのだろうか、それともまさか、口に出ていたのだろうか。前者であることを願うけれど、今となってはわからない。


歌舞伎町の真ん中のビルの8階。ガラス張りの窓にもたれながら、ソファの上で本を読む。制作を見守り続けてくれた人が、撮影期間に入る直前に貸してくれた本だ。近くには、専門書のような黒い冊子とA4のリングノートを広げてむつかしい顔で頬杖をついている女性がいる。その奥には、コンビニおにぎりを並んで食べながらイヤホンのLとRを互いの耳に装着して会話をしている二人の女性が見える(それを見て「こら!LとRを別々で聴くのはダメだぞ!」と思う)。見下ろすと、道の真ん中でオフィス・チェアに座った一人の男を囲んで円になり座っている集団がいる。

「彼らも今まさに生きているのだなあ」

『生きるぼくら』という本のタイトルを見て思う。


思えば自分は去年の夏くらいから、それまで20年間築いてきた"セプテンバー"さんとの親密な交流と引き換えに、ある呪いに取り憑かれてしまった。
生きている人たちを見ていると、止まらない妄想に駆られるのだ。

いまの人は何を考えてその行動を取ったのかな
あの人の表情よかったな
あ、今きこえてきたセリフの出し方よかったな
ここは自分ならどう撮るかな〜

街が素材にみえる。人が脚本にみえる。

ゴダールもきっと、そんなことを繰り返して生きていたのかもしれない。


撮影期間というのは実に厳しく、その精神的な過酷さは文字にもことばにもできないようなものだった。2度目だからといってそれはなんの武器にもならず、目の前の作品が新しくなれば、障壁も一新される。

応援されることは嬉しかったが、怖かった。
映画を作れているという喜びは、映画を作れるのはこれが最後かもしれないという悔しさといつも一緒だった。
いいカットが取れると、納得いかないカットがフラッシュバックして心臓を押し潰した。
脚本をいいと思うとき、同時に脚本をひどいと思った。
仲間にありがとうと思うときには必ず、何もできない自分への怒りが込み上げた。

口座の残高は、制作の合間を縫って時給1000円のアルバイトをしたところで食い止められるわけもなく、急激に減っていく。
人並みの理由で始めたはずのSNSは、いつの間にか宣伝媒体になっている。
身に覚えのないことに頭を下げる。
人と話をしていると、いつの間にか彼らの中で自分が"映画を作っている人"でしかなくなっていることに気づく。
作品の隣に、名前が並ぶ。
名前の隣に、完成させられるのか誰もわからない作品の名前が並ぶ。

人生最後の夏休みは、見事に責任の重圧と疲労の餌食になった。

もう十分じゃないか。たったの2年間でこれだけの代償をはらって、これ以上何を求めるのだ。


それでも今日も、映画館でなんの勉強になっているのかもわからないメモを取り、映画批評を読み、"映画"というワードのついた雑誌を手に取り、書きかけの散文ばかりが連なった脚本フォルダを開き、9月の京都で腐るほどみた脚本と10月の東京で見つめ合っている。

ボロボロの9月がのこしてくれた、たった一つの確かな記憶は「映画に出会えてよかった」ということだった。

自分の想いがことばになり、それが目の前で命になったときの感覚は何にも代え難い。
人生で二度と経験しないであろう生活が、腐れ絆を与えてくれた。
俳優が主人公を深い部分まで理解してくれることを感じるたびに目が潤んだ。
撮影チームが和気藹々と現場にいてくれるのが何よりもの幸せだった。
去年は輝とみんなの後ろをついていくことしかできなかったのに、今年は自分たちの少しだけ逞しくなった背中側を、夢を語りながら歩いてくれる手のかかる18歳がいた。
前作を共に作ったみんなの存在がいつもあたたかかった。
今作を応援してくれる人たちの愛が映画に想いを与えてくれた。
たくさん叱ってたくさん受け入れてくれる天橋立の如くひろいみんなと食べる白米は、3食毎日続いたけど、いつだって最高に美味しかった。


映画は、愛でできている。

それを教えてもらえただけで、代償なんて痛くも痒くもないのだ。

そして映画は愛でできているということを自分の作品で伝え続けたい。

夢を諦めるかどうかを考えるのは、せめて91歳になってからにしよう。


そんな夏だった。



9月が好きだ。

夏ってだけでキラキラしてた、という理由で好きなわけじゃないから、

どちらかというと、"Do you remember?" の方が好きだ。

夏のあのヴェゼル・ライフを過ごした僕らの耳には、その響きが一番しっくりくる。


僕たちだけが知ってたらいい、けれど僕たちだけが知っているには勿体ない。
しかし僕たちだけにしか共有できない。でも、それが誰かに伝わることがあるかもしれない。


だから、9月と映画が好きだ。


10月2日(土) 0:19

また今日も本が読めなかったな、と思いながら、もう一度くしゃくしゃの脚本を開く。


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