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20221020 楽観的な友人と悲観的な私

今日は友人が家に来てくれた。
下の記事にも書いた通り、私にとって
数少ない大切な友人だ。


月初に大きな手術を受けた彼女。
経過は順調な様子。
LINEのやりとりは割と頻繁にしていたけど
顔を見るのは術後初めてだった。

来週から仕事に復帰するとのことで
その前に美味しいご飯でも食べに行こう
と話をしていた。


ところが私の体調と鳥の具合の関係で
長時間は外出が難しいということを伝え
今回は、わが家でお茶をすることになった。


顔を見て、いつもと変わらない様子に
安心した。
退院祝いにとケーキを用意していたのだけど
友人もケーキを持参してきてくれていて
笑った。

近況や手術の様子や今後の治療について
の話しを聞いた。
今のところ、術後も薬を10年ほど
飲み続ける必要があるとのことだった。


その他もいろいろな話をして、過ごした。
彼女は私とは似ているところもあるから友人
なのかもしれない。


でも、決定的に違うことがある。

それは、彼女は楽観的である。
そして、私は悲観的である。

(今は鬱も相まってきっと5割増し
くらいには悲観的に違いない)

悲観的なことが良い曲面も考えようによっては
ややあるかもしれない。
何か問題が起きたときに、割と最悪な事態を
想定しがちだ。
なぜなら、それをすることで想定外の不幸
を感じずに済む。
いわば心の予防線となる。
万が一にも、想定した不幸が訪れた際にも
面食らう事なく、ああやはり、と多少は
クッション代わりになるからだ。

あとはあらゆる可能性を調べ、慎重になる。
知識も増える。
ただ、取り越し苦労が多くて疲れる。

おそらく私が彼女と同じ病気を宣告された
としたら、間違いなく今より病むだろう。
けれど、彼女は違った。


見えないところではそうだったかもしれない。
でも、少なくとも私の前では弱音を吐いたり
必要以上に落ち込むような素振りはなかった。


彼女は無意識に生きることに
腹を括っているのかもしれない。


どうにもならないことにあーだこーだ
言い続けない。
言い訳もしない。
潔さがある。


起きたことをそのまま受け止めて
前を向く強さを持っている。


みんなそれぞれのペースがあり
得意なこと苦手なことは、ある。


おそらく彼女と私とでは、役割が違って
それが長年上手く友人として繋がって
いられるのかもしれない。


でもやっぱり、そんな強さを持つ彼女には
尊敬の念を抱かずにはいられない。

そして、薬を飲むのに抵抗があったり
未だ、病気を受け入れられないと
ウダウダ言う自分を少し恥じる。


自分が精神的に未熟だ、という自覚はある。
むしろ知っているから隠し続けていた。
だけど、それは結局はダダ漏れしていると
ある日、気付いたから受け入れている。


ああ違う、そういうことが書きたかったわけ
じゃないのに。
書く前、書いてる時で思考が変化していくのが
わかる。
だから書くことが楽しかったりする一面
もあるのだけど。


今日は久しぶりに楽しかった。
最近日々調子に波があったから、今日も
体調悪くなったらどうしようと心配した。


でも彼女の楽観的思考に私の悲観的思考は
見事にかき消された。
よく話し、よく笑い、よく食べた。


今日の反動で明日寝込むかもしれない。
でもいいや、楽しかったから。
ひとつひとつの体調に過敏にならなくても
とりあえず生きていれば、まあそれで。


鬱になる前の自分は、楽観的なところも
もっといっぱいあったことも思い出した。


彼女の存在に感謝している。
2人の関係が続いていることにも。


ありがとう。


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