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ほんのしょうかい:『ホワイト・フラジリティーー私達はなぜレイシズムに向き合えないのか?』ロビン・ディアンジェロ著 貴堂嘉之監訳・上田勢子訳〈『思想の科学研究会 年報 PUBLIKO』より〉

 アメリカ社会においては、反レイシズムや多様性への理解を目的としたレイシズムを考えるためのワークショップが色々なところで行われている。この本は、ワークショップでトレーニング講師を、長年勤めてきた白人女性の社会学の研究者であるロビン・ディアンジェロが、二〇一八年に発表した著作の翻訳である。
二〇二〇年の白人警官によるジョージ・フロイド殺害事件から盛り上がったBLM(ブラック・ライブス・マター)の運動の中でも、この本は、注目されているようである。白人である彼女が、<白人至上主義>に絡め取られている米国の白人の精神性について、深く切り込んでいて、白人の中から、生じた自分たちの有り様を批判したものとして、重要な意味が認められている一冊である。とはいえ、これを手にした日本に住む我々が、米国における、反省・自己批判の書としてのみ受け止めていいものだろうか。
貴堂嘉之は、監訳者解説の中で翻訳、刊行した目的として、「米国におけるレイシズムの行方が日本社会にも決して無縁なものではない」と記している。確かに、名誉白人として、先進国の一員を目指し、国際的地位を得ようとしてきた日本人にとっても<白人至上主義>の精神性のくびきから自由であるとは言い切れるものではないと思う。
このこと以上に、アメリカの白人が、白人に向けて訴えかけたこの本を手にする僕らにとっては、もっと深い可能性があるのではないか。
アメリカ文化論として、特に北部アメリカのそれとして読む読み方があるだろう。公民権運動後のアメリカの人種差別の状況を知るだけでなく、アメリカ人の精神文化の中に織り込まれた歴史的な事象やプロテスタント文化の香りを嗅ぎ分けることもできるかもしれない。
自分たちへの応用としては、差別を考えるものとして読む読み方がある。アメリカの人種差別の問題を我々が考えるとき、肌の色による違いに意識を取られがちではあるが、日本社会における差別の淵源は、必ずしもそこにはない。だからこそ、差別の心理を論じたものとして、白人を日本人と置き換えながら読むことで、この本を鏡として自分達の心理を揺さぶり、差別の姿を検証することもできると思う。
社会に影響を持つ人の分断を煽る言説が、公民権運動後のアメリカで展開された新しいレイシズムから学んでなされている可能性もある。ここ十数年、我が国で行われた分断を煽った言説を、この本に描かれているアメリカの世相を鏡として、反省することもできるだろう。 
このように、アメリカの文化の描写である本に対して、僕らは他者として読む、私の問題として読む、向こうからこちらへの関係として読む、そういう三つのアプローチの方法がある。どの方向で読み進むにしても、この本は、一歩前に進んで読むに値する本だと思う。(本間)



https://www.akashi.co.jp/book/b581162.html

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