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【画廊探訪 No.151】わたしを求めて、遷流する世間を渡る――グループ展『境界』たかすぎるな出品作品に寄せて−―

わたしを求めて、遷流(せんる)する世間を渡る
――グループ展『境界』Gallery Face to Face たかすぎるな出品作品に寄せて−―
襾漫敏彦

様々な制約が重ねあわされて、わたしは、人の世で生かされている。そして、いろいろな変化を渡り歩くようにして生きている。時々に容貌をかえるわたしの中にも、また、別の姿のわたしがあらわれる。
笑いながら、笑えぬわたし。装いながら、飾りをひきはがしたわたし。視線から逃れながら、視線を求めるわたし。いくつものわたしは、わたしそのものでもある。



たかすぎるなは、イラスト、ドローイング、小物、アクセサリー、PHOTOを使ったコラージュ、映像と様々な形式の作品を制作する。それは、明確なフォルムを持つ多角的な視点からのアトリビュートの重ねあわせであるが、彼女の特徴は、はっきりとした区分けをもたらす深い「境界」であろう。

今回のグループ展で、たかすぎは、MDPを素材として、レーザー・カッターで切り分けたパーツに塗装を加えて重ねあげて作品を構成した。それは、下地から塗り重ねていく化粧の手つきには似ているものの薄層を足していく絵画と異なり、カッターで切られた切断面は物質故の厚みを持っている。


 たかすぎの作品の太い境界は、彼女のもつ超えがたい多面性の象徴かもしれない。それは、異質なものを組みあわせるために呼び起こされた「境界」であり、エゴン・シーレの太い線でもある。
「境界」によってわけられた領域は、明確なフォルムと単調な色彩をもつものが主であるが、それを安定させる極として、グラディエーションや揺らぎを含んだ遷流する色合いのパーツがおかれている。それは飾り立てて、誰かに向けた容姿と、わたしだけが知るわたしの表情である。
「境界」がモチーフとなるたかすぎの作品だが、今回、出品されなかったドローイングには、その断層が乏しい。それは、誰も知らない彼女の体温であり、「境界」から戻ったわたしだろう。そこには化粧(けわい)を落とす楽屋裏の温もりがある。


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たかすぎさんの公式サイトです。作品の販売も行ってます。


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