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【画廊探訪 No.061】君に向かい、私に向かい、想いを交わして

君に向かい、私に向かい、想いを交わして
  ―――金巻芳俊彫刻個展『春暁メンタリティ』に寄せて―――
                              襾漫敏彦

 以前のことであるが、天台の高僧に、菩薩像が、おおよそ立像である理由を教わったことがある。衆生を救済せんと、まさに行動しようとする決意をあらわしているそうである。

 今回の個展は『春暁メンタリティ』『咲節ナルシサス』『輪想カルマート』という春にからめた三つの彫刻である。それぞれ、男性像、女性像、女性でもなく男性でもない像である。
 感情の揺れ動きを表現する金巻氏の女性像は、表情がそれぞれにうつり、その移ろいが見る者の好奇の心を刺激する。しかし、それは引き裂かれることなく、一輪の花として、開花する。その安定性を支えているのは、女性像の足元であるように思う。立ち姿には、相手との関係性や、想いというものが、おのずと現れる。彼を待つ、彼を求める。想う、喋る。彼女達の向こうには誰かがいる。それは恋人であり、作者本人である。そして、私達は、彼と自分を置きかえる。彼の女性像は対話的なのである。『咲節ナルシサス』は、彼女の愛に自惚れる男の自己愛をともなろう。
 そして男性像であるが、その足元は、やや安定を欠く。それは行動の前の不安、ためらい、決意を示す。『春暁メンタリティ』にあっては、おのれ自身への盲目性である。自分の内に居る様々な意識がからみあって、現実への覚醒を邪魔しあい、過去だけが唯一、転倒して見えるのである。堂々めぐりする執着の抜け道は、己れを去った中央の空隙しかないのである。金巻氏の男性像は、これからに苦闘する己れの多彩な姿を表現している。ここでの対話は、自己の内での対話である。
 残るテラコッタは、木彫りと異なるぬくもりの触感が非常に好ましい。木彫りとテラコッタの間の空隙に何をいれることができるか、楽しみである。

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金巻さんのを連投します。

二科展に出品される作品のことを知って、私は、二科展に金巻さんを訪ねていきました。出待ちのファンみたいな感じですが、彼と出会えたことは、色んな意味で幸運でした。

FUMA CONTEMPORARY TOKYOの金巻さんのページも貼っておきます。


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