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画廊に行くようになって気がついたこと その50

 写真の登場は、画期的なことであったと思います。西洋の絵画・美術の歴史においては、絵を描くというのは、模写をする、そこにあるものを写しとる、そういうことが考え方の基本にありました。

 言葉で物事を伝えるように<記号>を並べて意図を伝える方向ではないということです。

 そのものをそのものとして写し取ろうとして、様々な工夫がなされました。遠近法ほその一つですし、また、機械を使って投影させたり、窓ガラスのようなものに写してなぞるそのような手法も展開されています。

 ジュリアン・ベル著 長谷川宏訳の『絵とはなにか』(中央公論)には、そのあたりに対する考察が丁寧になされています。

 西洋・キリスト教文化圏においては、この問題は複雑な背景を持っています。

 「神の作りたもうた世界は、そのままで神の意図である。だから、世界の模写は、神の御業の確認、証明にもなる」という考え方があります。けれども同時にモーゼの十戒にもあるように偶像崇拝は禁止されています。ですから、描写というのは、偶像につながるところはあり、あくまでも<記号>としての図像でしか表現できないということもあったようです。

 今話題になっている、AIとは写真、写実なのか、それともストーリー、物語りなのか、実は立ち止まって考えてみることも必要かもしれないように考えています。

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