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「英雄の末路」書評:山本英政著『米兵犯罪と日米密約』ーー『思想の科学研究会年報』スピンオフ


「なぜ、ハワイ」の山本英政さんの『米兵犯罪と日米密約』の紹介の代わりに研究会会員の本間神一郎氏の書評を掲載します。

「書評」山本英政著『米兵犯罪と日米密約』(明石書店)
英雄の末路


本間伸一郎
 一冊の本を手にする時、読者はその中に自分の姿を探し求めていく。この本の中で、我々は、どのような自分に出会うのであろうか。

 石橋湛山内閣総理大臣が病になり、岸信介氏が代理となる前後の一九五七年一月三〇日、ある事件が起こった。
『相馬ヶ原農婦射殺事件』=通称『ジラード事件』。米兵によって農婦が銃器で射殺された事件である。筆者である山本英政氏は、この事件を、日米双方の視点を追いながら丹念に描き出している。

 この本は、大きく四つのパートから成立している。第一章では、米兵ジラード三等特技兵が犯した事件の概要、そして、それに至る背景となる相馬ヶ原という地域の問題が語られる。

 石が投げこまれた水面のように、事件は様々な所へと波及していく。社会党の議員を中心とした政治の舞台での対応、検査にあたった群馬県警と前橋地検の姿勢、裁判権をめぐる日米代表者間の交渉と、二章では、日本を中心とした公的な部門での動向が描かれていく。
 続く第三章では、事件をめぐるアメリカでの反応がまとめられている。第二次世界大戦から冷戦へと時代が移りかわり戦争状態から新しい秩序が求められ、戦勝国の解放軍から同盟軍へと駐留米軍の意味も変化していく。その過程で、駐留軍としての米軍の論理と駐留国の規範の折合いが模索されNATO各国と米国との間で地位協定が結ばれていく。駐留地での米兵の裁判権に関わる協定の更新の期限が迫る繊細な時期に『ジラード事件』が起きる。事件に対するアメリカ政府の対応、世論の動向、更に事件をきっかけにした地位協定をめぐる米国議会での動向が述べられる。

眼に見えぬ様々な《食い違い》が、この事件によって表面に噴き出した。が、その大きな動揺も多くの力学の中で収束へと向かっていく。最終章では、その形式としての裁判、公判の様子が描写されていく。

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 当たり前だと信じる世界に人は生きている。その理(ことわり)に従って眼前の出来事を、当然だとか、どうしようもないと整理していく。けれども銘々が立っている足場は、老朽化した廃屋のように、きしんで互い違いになって、ひと続きの平らな床ではない。だからこそ、ひとつの事件が問題とされるとき、多くのものがまきこまれ、それぞれが納得している世界が大きく違っていることが、あきらかになる。隠れていた矛盾と受けいれていた事実を引き出す。

 『ジラード事件』――このひとつの事件は不幸な巡り合わせで生じた出来事であろう。しかし、起こらなかった『ジラード事件』は、相馬ヶ原、そして日本の風景の中に数えきれぬ程ある。弾拾いが普通の事になっている日常、ジラードの不用意さ、勝者の傲りと敗者のおもねり、それ以上に、それを日常の風景として、日本側も米国側も、日本人も米兵も受けいれていること。ひとりの米兵は、やっていいと思って戯れたのである。矛盾はいつ噴き出してもおかしくなかった。
 噴き出した矛盾は、多くの動揺をひきおこした。物事は、それを静めるように動いていく。そこには、幾人かの誠実な努力もあった。けれども、問題が解決されたというより、わずかばかりの前進とひきかえに、矛盾を抱えたまま現状に復帰しただけである。

 事件というものは、異様なものとして捉えられる。事件を起こりとして、それを受けて対処することで理解し、方向を転換していく。起承転結の流れとしてみるとき、裁判は結論のひとつの形態である。けれども意味を考えようとするとき事態の流れとは逆の方向から、結果をひとつの起こりとして、矛盾の構造や問題の根を認め、今日の我々をとりまく状況とどのように繋がっているかを理解することも、またひとつの結論なのであろう。

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 公判が終わり、事件は関係者への関心と共に急速に忘れられていく。ジラード、被害者家族。そして、捜査の指揮をとった群馬県警刑事部長の岡田三千左右氏は、翌年、勇退の勧奨を受け、職を辞することになる。ひとつひとつの努力やはからい、そして思いは済んだことになり、動揺は現状へと復帰する。前橋地裁の中庭で撮られた閉廷後の記念写真は、本当の主人公は誰かを、よく教えてくれる。
 この事件で、自分というものを問われた多くの人がいた。その中で、周囲との関わりを超えても己を通した人は、その後、恵まれたとは言い難い。体裁とでもいうべき表面的な姿と実際の生々しき力の関係によって成り立つ内部の構造、そこを連結し組み上げていくための様々な措置も陰に陽に用意されている。力の不均衡を背景にしながらも、主権国家としての対等性という体裁を整えるために密約という形がとられることもあろう。収束という言葉と共に、人々の犠牲も努力も、大いなる構造に組み直されていく。とは言え、ヘーゲルの語る「理性の狡知」ではないが、見え難い英雄の力で歴史の一歩も進められていくのである。裁判、密約、売名、誠実、それらが作る構造の中に、この本を手にする僕等は、どのような姿を見いだすのであろうか。

最後にこの感想を、県警を辞して十年の間、沈黙を守って働き続けた岡田三千左右刑事部長の沈黙に捧げます。


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日米地位協定に関心のある方、その流れの中で、重要な「事件」の報告です。
興味ある方は、是非。

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