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【画廊探訪 No.159】井澤由花子個展「月を映す水の如く― ウィンド 風の時代 花の記憶 ―」に寄せて
月を映す水の如く
――井澤由花子展
― ウィンド 風の時代 花の記憶 ―
Gallery FACE to FACEに寄せて――
襾漫敏彦
東福寺光明院の波心庭の前で、暫し、佇んでいた。水は風をうけてさざ波をたて、土の器に従って形をかえる。万物の中に浸み広がっては、緑、そして、生命を育む。燃やし暖められては、姿を変え、万象のあらわれる場所へと広がり、又、とどまる。鈴森三玲の自然を見たてた庭の前で、物思いにふける。
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井澤由花子は、水の画家である。彼女は企業の器の中で、イラストやデザイン、作画に携わっていたが、第一子を授かる頃、自立した画家としての道を選んだ。彼女は、下描きをつくり、それを写しとして構えをつくり、色を彩らせていく。具材そのままを水に抱かせて表に出される色彩は、陰翳を取り消しすべてを白く戻す強い日射しの中でも、存在が主張する己の強さでもある。
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混合せずに色そのままを細かく配り置く手法は、形にする前の色彩の力の表現である。色彩は部分でありながら互いが反響しては、ひとつのまとまり、心持ちがあらわれる。それは、万華鏡にあらわれる一瞬の奇跡であり、風のような僅かな力によっても、たれては新しく生まれかわる。
あらわれるのは、そうである姿であるが、すなわち、そうであった姿、そうでなかった姿を想いおこさせる。そして、そうであるだろう姿も想いおこさせる。
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井澤は、今回の個展では写しをせずに、水にまかせるように絵を描いた。一種の水墨画を想わせる。彼女の息子は十才を越えた。せきとめられた水が流れ出すように世にあらわれた存在も、自らの道があらわれる。
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人生の一瞬は、流れゆくの中にありながら切り出された一枚の絵画や見立てられた庭のようでもある。それでも水に映る月は、水でもあり、月でもあり、移ろいでもある。
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井澤さんは、いくつかのサイトで紹介されていますが、Instagramもはじめ、ネットで探索してみてください。
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