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【画廊探訪 No.012】工夫を焼いて土に回帰す―天狗寺陶白人展に寄せて――

工夫を焼いて土に回帰す
―――「美しいはあきる、KAWAII かわいいは一生」天狗寺陶白人展に寄せて―――
                          襾漫敏彦

 人伝に知り、春の日の午後、天狗寺陶白人展に伺った。調べたところによれば、彼は、京都にてデザインを学んだが、陶芸と出会い、故郷に帰って自分の窯を立ちあげたようである。郷里から都会へ、製品から陶器へ、そして郷土美作の土へと。外から眺めた見方を、失礼を承知で言えば、行って帰る、自分との出合い直しの物語のようである。

 デパートの一角に並べられた作品は、形、彩色共に、奇抜な印象をうけるが、どこか懐かしい。複雑にも思える形状のものは、丸、三角、四角とシンプルな形の組み合わせでもあり、禅宗の公案のようでもある。色彩は大胆で派手にもみえるものの、優雅というより素朴。ちゃんちゃんこを、器が羽織って座っているようである。様々な試みがなされているものの、作意がめぐって自然(じねん)にも想えるまとまりを感じる。

 表現というものの背後には、理解する過程が潜んでいる。自然を観て、そこに流れるものを察す、そして自分との経験を通して、誰かへと表現する。だからこそ、真や善や美に通じるものを写し出そうとする模写の考え方もでてこよう。けれども、陶芸は、人智を超えた世界の表現を、自然に預けているのかもしれない。

 両方の世界を知る陶白人氏は、土に作意を練り込む。創作への執着を、作意として覚悟し、それを、人知を超えた熱と圧力の穴に投げ捨てる。表現として理解する最後の一線も、時の中に投げこむのであろう。人も、営みも自然の作意とすれば、窯から出てくるものは、陶芸家を介した自然の自画像かもしれない。


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天狗寺陶白人さんからは多くを学びました。本当に優しく柔らかい方でした。最近、亡くなられたので残念です。

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