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【画廊探訪 No.080】ひと粒の舎利を紅葉によせて ――「ULTRA005」垂谷知明作品に寄せて――――

ひと粒の舎利を紅葉によせて
―――「ULTRA005」Nov.Side出展
 垂谷知明氏作品に寄せて――――
              襾漫 敏彦
 京都で一枚写真をとり、「これが京都ですね」と京都の人に聞いたら、「それも京都ですね」ときっというだろう。
 
 垂谷知明氏、彼は今回の出品で、これまでの自分の記録をすり出してほぐし、色彩のパーツとして、ちぎり絵のような作品をくみあげた。今の彼は、これまでのすべての時点の彼が組みあがったものだという意図らしい。

 これまでの作品の写真を見せてもらったが、彼の主題の一つは「粒」である。「粒」は全体を構成するが、決して溶かしきる事のできない最小の不可侵の存在である。それに通じるのは、大地という全体を構成する土の粒である。大切な一粒、一粒を、舎利の如く、作品の胎内に組み入れようとする。
 
 全てというのは個のあつまりである。故にこそ、彼は個をあつめて全体を作ろうとする。彼は、全体と個の間で、必死なのである。しかし、全体になろうとするとき、それはもはや、全体を忘れているのである。ありのままが、実は、すべてなのである。
 
 「粒」と「塊(かたまり)」の間を揺れ動く彼の影法師から萌え出づるのは、色彩の感覚である。明確な色彩の帯、配置、おかれる泡のような粒、それは、おのずと紅葉をむかえ始める京都のようである。色の感性は、やはり土地の匂いがする。多様なパーツが織りなす万華鏡、その時、その時で変化しても、やはり万華鏡であり、その力を持つのが、彼を育てた京都なのであろう。全体という枠を、すっと落としたとき、全てがつながっているのではなかろうか。


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垂谷さんのWEBSITEです。

http://www.tarutanitomoaki.com/


曲線と直線というアートコミュニケーションとでもいうような活動もされています。



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