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ほんのしょうかい:荒木優太『転んでもいい主義のあゆみ』〈『思想の科学研究会 年報 PUBLIKO』より〉

 英語の文法の中には、完了形というものがある。これは、予定や計画の存在を前提していて、それを成し遂げたということであるが、日本人にとっては、なかなか馴染まないものであり、未来完了ともなると尚更である。未来にまでも影響を与える計画や予定は、運命とも天命とも、使命とも、言い換えることができるだろうし、それを決定するのは、キリスト教文化圏では、“天に在します我らが神”ということになろう。
荒木優太『転んでもいい主義のあゆみ』は、軽妙な語り口で書かれているものの、日本におけるプラグマティズムの受容の歴史であり、アカデミズムでのプラグマティズム研究史でなく、社会運動を担った人物の実践史である。『これからのエリック・ホッファのために』(東京書籍)以来、在野での学びの系譜こそを、思索と学びの王道として扱い続けている荒木氏の面目躍如たるところだ。
アメリカにおける発生を冒頭に置きつつ、田中王堂、石橋湛山、田制佐重、三隅一成と続き、清水幾太郎、『思想の科学』周辺と鶴見俊輔へと進む。「思想の科学研究会」の立場からみれば、戦後の鶴見俊輔と「思想の科学」の周辺のプラグマティズムにまつわる系譜と、その前史という読み方もできる。
フイルムアート社のウェブマガジン「かみのたね」の頃から読んでいたが、荒木氏の「思想の科学」に対する理解は、かなり的を射ていると感心させられた。
この本は、軽く書かれている様に感じるだろうが、彼は、ルイ・メナンドやブランダム等、かなり最近のものや、重要な文献への目配りをきっちりしている。それは、アカデミズムの学派や仲間内の評価に寄り掛からぬ道を選んだ荒木にとっては、転びながらも自分で納得できる構造を独力で作り上げるためには、当たり前のことなのだ。
「転ぶ」ことや、「失敗する」っていうのは、そもそも「成功」や「転ばない」という基準が前提としてある。「成功」や「転ばない」ことには、それ以外の道を許さない息苦しい厳しさがある。アメリカのプラグマティズムは、アメリカの北部の厳格なピューリタン文化の抑圧が前提としてある。明治維新以降の、近代化への改革の中でプラグマティズムの考え方が必要とされるこの国の抑圧とは何かを改めて考えることもできるかもしれない。
明治以前にあった、この地での「転んでもいい」思想の経験を、「1番になることに価値をみない」思想を捉え直すためにも、この一冊は、重要な一冊だろう。(本間)


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